海外からの観客を想定した大型ホテルの建設ラッシュもあった。「桜を見る会」追及で話題の「ホテルニューオータニ」は1964年8月末の竣工。着工は開催の1年半前という突貫工事だったが、五輪開幕前の9月開業に間に合った。2017年にリニューアルした「東京プリンスホテル」も1964年開業だ。
2020年の東京でもホテルの開業が相次ぐが、往時と違うのは、150室前後のビジネスホテルが多いことだ。経済アナリストの森永卓郎氏が語る。
「五輪に向けてのインフラ投資を比べると、1964年と今とではインパクトが違う。もともとコンパクト五輪を掲げた今回は、ハコモノ投資をしない前提で始まった。都心と臨海部を結ぶ環状2号線も完成は間に合わず、五輪を機に東京の“外装”が変わった前回とは大きな違いがあります」
世界に広まったデザイン
1964年五輪を機に誕生したのは建造物ばかりではない。今も街中で使われるトイレや食堂、コインロッカーなどの施設を示す絵図標識「ピクトグラム」は、この時世界で初めて作られた。デザインを考案した11人のチームに最年少の25歳で参加した版画家の原田維夫氏(81)が語る。
「五輪の各種デザインを統括した美術評論家の勝見勝先生から『どの国の人でもひと目でわかるような施設シンボルを考えるように』と指示があり、メンバーは旧赤坂離宮(迎賓館)の地下で手弁当で考案に取り組みました。軽食堂や更衣室、電話など全39種類の施設シンボルを作りましたが、今も残るトイレのシンボルは田中一光氏(グラフィックデザイナー)の発案です。男女や大小の違いがあるトイレをあの形(ズボンとスカート)に絞ったのはさすがだと思いました」
当時作られたピクトグラムは、その後、世界中に広まった。その裏には、チームを率いた勝見氏の英断があったと原田氏は言う。
「メンバーが集まる最後の日、勝見先生が『著作権を放棄しよう』と。当時はあまり理解していませんでしたが、後で振り返ると、私たちが考えた施設シンボルが世界中で現在も根付いているのは、勝見先生が著作権を放棄したからこそ。そこまで考えておられた勝見先生は凄いと思います」
※週刊ポスト2020年2月21日号