メインスタジアムも無事完成し、メダルも制服も決まり、開会式に向けて準備万端なはず……だが、何かが違う。1964年を知る世代にとっては、あの時の高揚感、五輪を前に日本が変わっていく空気感が、今回は感じられないのだ。それだけ「あの時」が特別だったということか。
2020年の日本の中心にあるもので、1964年の東京五輪をきっかけに作られたものは多い。今では北海道から九州まで貫く大動脈に進化した「新幹線」はその代表だ。東海道新幹線が開業したのは五輪開催の9日前、10月1日だった。進行中だった新幹線計画が、五輪開催に合わせて急ピッチで進められた。
開業当日、新大阪発の一番列車「ひかり2号」を走らせた元国鉄運転士の大石和太郎氏(87・当時31)が語る。
「実は開業日は最高時速に規制がかかり160キロに制限されていました。しかし、時速200キロ超を出さなければ、国民から期待され世界からも注目を集める“夢の超特急”にはならない。そこで私は、『徐行区間の遅れを取り戻す』という名目で時速200キロを出した。その結果、最高時速は210キロを記録し大きく注目されたのです」
さらに当時の東京では、五輪を機に都市インフラの整備が加速した。用地取得のしやすさから都内に流れる川の上に作られた「首都高速道路」は1962年から順次開通。国際線が発着する羽田空港とオリンピック関連施設を結ぶ首都高が完成したのは、新幹線開業と同じ1964年10月1日だった。浜松町駅と羽田空港を結ぶ「東京モノレール」も同年9月の開業だ。
ホールの建設も相次いだ。コンサート会場としても有名な「日本武道館」は、五輪の柔道会場として10月3日に開館。同じく重量挙げ会場となった「渋谷公会堂」も1964年に開業した。