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昭和の電車にあった「窓戸錠」とは? 複数人で窓を開ける光景も

広い開口部が設けられていた理由は?

 窓が開きすぎて強風に悩まされる問題もあった。昭和30年代終わりから平成の初めまで走っていた山手線の黄緑色一色の通勤電車を覚えている人もいるかもしれない。この電車には、幅92cm、高さ87cmの二段式窓が運転室付きの車両に14枚、運転室なしの車両に16枚がずらりと備えられ、行き先表示器が取り付けられている窓を除いて、上下段とも窓をいっぱいまで上げられ、窓の大きさと同じ開口部を得ることができた。

 1980年代半ばまで山手線には冷房装置の付いていない車両が走っていたため、広い開口部が必要だったと話す人もいるが、実際に乗った経験から言うと、ここまで開けなくても良かったのではないかと思う。窓を全部開けてしまうと風が車内に入りすぎ、帽子やハンカチなどが外に飛ばされる人までいたからだ。

 これだけの広い開口部が設けられていた主な理由は緊急時の避難のためである。JRの前身の国鉄は、1951年4月24日に現在の根岸線の桜木町駅付近で電車の火災事故を起こし、106人の乗客が命を落とす大惨事を招いた。電車内に乗客が閉じ込められてしまったことが死者を増やした要因の一つと考えた国鉄は、それまで全開できなかった窓を全て開けられるように改めた。その名残で、山手線を走っていた黄緑色の電車にも引き継がれていたのだ。

 扱いづらい窓戸錠を改善するため、その後鉄道各社は窓がはめ込まれた溝にワンタッチボタン式の窓戸錠を設置するなど試行錯誤を繰り返してきた。普段何気なく目にしている電車の窓だが、コロナを機に改めて考えてみるのも良いかもしれない。

【プロフィール】うめはら・じゅん/鉄道ジャーナリスト。大学卒業後、三井銀行(現在の三井住友銀行)入行。雑誌編集の道に転じ、月刊「鉄道ファン」編集部などを経て2000年に独立。現在は書籍の執筆や雑誌・Webメディアへの寄稿、講演などを中心に活動し、行政・自治体が実施する調査協力なども精力的に行う。

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