子供の頃、「完食」を強要された――。そんな経験がトラウマとして残っているのか、大人になってからも飲食の場で苦労している人がいる。メーカーに勤める30代の女性・Aさんもその一人。自身は少食で、かつ食べるのに時間がかかるのだが、家庭でも学校給食でも完食することを求められ続け、今も人と一緒に食事をすることが苦手だという。Aさんに、自身の体験を聞いた。
「もう辛い思いをしてまでご飯を無理に食べたくありません。本当に地獄のような日々でした」
そう振り返るAさんには、1歳違いの兄がいる。小柄な母親は、「せめて子供たちには大きくなってほしい」という思いから、とにかく量を食べさせた。Aさんは兄と同じ量のご飯を残さず食べなくてはならず、食べ終わるまで食卓から離れることが許されなかったという。
物心ついた頃から、朝は牛乳500mlがマスト。昼の給食でも牛乳が出るが、母親はかたくなに牛乳を飲ませた。Aさんの成長を思う親心だったのだろうが、Aさんは牛乳が苦手だった。「朝、母が洗濯や掃除などの家事をしている時を見計らって、こっそり流しやトイレに捨てていましたが、一度見つかり、激しく怒られました」と苦い経験を振り返る。
Aさんにとっては、夕食もつらかった。主菜は必ず3品以上。副菜も4、5品はあった。Aさんが覚えている高校時代の食卓は、カツカレーに餃子に刺身、きんぴら、卵焼き、マカロニサラダ、ほうれん草、冷奴という具合だ。主菜の量も、少しずつではなくすべてきちんと「一人前」、副菜も手のひらほどの中皿に溢れんばかりだったという。
「兄が食事で苦労しているのを見たことはないので、よく食べる人だったのでしょう。でも同じ兄妹だからといって、私まで食べられるわけではない。ただ、その頃は『普通』がわからなかったので、家のご飯は全部食べなくてはいけないもの、という感じでした。
家族が次々に食べ終えても、一人ぽつんと食卓に残っていて、食べ終えるまでに3時間ほどかかることもザラ。量もさることながら、私はただでさえ食べるのが遅いんです。リビングから見えるところに食卓があるので、牛乳のように捨てにいくこともできません。吐きそうになったり、時々動悸がすることもありました。単純な満腹感というだけでなく、プレッシャーだったのかもと今では思います」(Aさん・以下同)
母親の「たくさん食べさせたい」という気持ちと、Aさんの「そんなに食べられない」という気持ちのミスマッチが、Aさんを追い込んでいた。