現在は消費者金融と呼ばれる業態は、かつてはサラリーマン金融、通称「サラ金」と呼ばれていた。そうしたサラ金の歴史について解説しているのが、『サラ金の歴史 消費者金融と日本社会』(小島庸平・著/中公新書)だ。国際日本文化研究センター所長・井上章一氏による書評を紹介する。
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友人や知人から金銭の用立てをたのまれることは、ままありうる。依頼におうじて、便宜をはかるケースもないではない。だが、その金をはやくかえせとせっつくのは、困難である。ましてや、交誼のある相手に利息をはらえとは、なかなか言いづらい。
しかし、二〇世紀のなかごろまでは、そういうことがよくあった。職場の同僚や近隣の人びとを相手に、期日や利率をきめて融通する。返済のおくれた相手には、帳簿や証文をつきつけ、なんとかしろと言いつのる。街には、そんな人が、けっこういたのである。
今のべたような市井の金融人たちは、のちにサラ金業をはぐくむ下地となった。彼らが金融の技をみがき、プロ意識をとぎすませたところに、いわゆる消費者金融は成立する。そのいっぽうで、かつてよく見かけた素人金融のにない手は、姿をひそめるようになる。同じように質屋というなりわいも、存在感を弱めだす。
サラ金は、担保をもうけない金貸しである。貸しだおれになるケースも、じゅうぶんある。そう誰にでも安心して、用立てができるわけではない。だが、夜の街へ同僚をつれてまわるようなサラリーマンは、優良な借り手だとみなされた。なぜか。高度成長期の会社員は、業績のみならず、人間性も人事評価の対象となった。飲ミニケーションにはげむ社員は、会社から高く評価されもしたのである。だからこそ、出世の可能性が高い、返済力があると、サラ金側も判断した。
中高年の読者なら、なるほどそんな時代もあったなと、往時をふりかえろう。この本は、ここ数十年にわれわれがくりひろげたいとなみと、サラ金のつながりをひろいだす。そうか、あの習慣も、どこかで消費者金融をささえていたのかと、随所で感心させられた。サラ金が金融技術を高めていったという、その内実がよくわかる。
女性、とりわけ主婦を借り手としてくみこむ経緯も、興味深い。今までの女性史が見おとしてきたところだなと、痛感する。
※週刊ポスト2021年7月30日・8月6日号