楽天側の関心は最後発のジオがどうやって設備投資額を抑制したかにあった。この時点で楽天が構築しようとしていたのはNTTドコモなどと同じ、在来の携帯通信インフラである。仕組みが同じなら、ファーウェイなど新興メーカーの機器を使って個別の機器の値段を安くしていくしかない。
ジオの幹部は三木谷らの質問に丁寧に答えてくれたが、その中に面白いことを言う男がいた。
「固定通信と同じように、モバイルもやがては仮想化していき、設備投資は劇的に安くなるはずだ」
目を輝かせて話す男は、名をタレック・アミンといった。MWCの視察を終えて帰国した後、三木谷が言った。
「彼の話が一番面白かったな」
スタッフが経歴を調べると、只者ではないことが分かった。
父はヨルダン人、母はロシア人。ヨルダンの首都アンマンで生まれたアミンは幼い頃からコンピューターにのめり込み、12歳の時には学校でコンピューター工学を教えていた。高校を卒業すると米国に留学。ポートランド州立大学で物理学と電子工学の学位を取得した。
在学中に半導体大手のインテルから入社の誘いを受けたが、1996年に大学を卒業してエンジニアとして就職したのは米国3位の携帯電話会社のスプリント・ネクステル。6年後に孫正義のソフトバンクが1兆5700億円で買収する会社である。数年ずれていれば、孫の部下になっていたかもしれない。
スプリントを皮切りに米国2位の携帯電話会社AT&Tモバイル、4位のTモバイルと大手を渡り歩いた。そして2008年にはファーウェイ米国法人のカスタマー・ソリューション担当上級副社長に就任する。米中の通信業界を知り尽くしたアミンに目をつけたのが、通信事業への進出を目論むインドのリライアンスだった。
「ウチに来れば、君はいつの日か、自分の息子に『パパは13億人のインド人の生活を変えたんだよ』と自慢できる」
リライアンス会長のムケシュ・アンバーニはビデオ会議で自らアミンを口説いた。アリババ・グループ創業者のジャック・マーと「アジア一の富豪」の座を競うアンバーニの言葉に心を動かされたアミンは2013年4月、技術部門担当の上級副社長としてリライアンス・ジオに移籍。獅子奮迅の働きを見せ、ジオをインドナンバーワン、世界3位の携帯電話会社に押し上げる原動力になった。
やはりアミンが只者ではないと知った三木谷は言った。
「平井さん、もう一度、タレックに会ってきてよ」