臨床医だった小林は、治癒させるより患者を痛めつけることのほうが多い抗がん剤の使用に疑問を持ち、新しい治療法を研究するために渡米した。抗がん剤はがん細胞を叩くが、同時に周りの正常な細胞も攻撃する。このため最終的には「がんがなくなるか、体力が尽きるか」の競争になり、患者は強い副作用に苦しむ。
これに対し、小林が研究していたのは、がん細胞だけに付着し、光を当てると細胞膜を破ってがん細胞を壊死させる物質を使う全く新しい治療法だった。その手法はあまりにも画期的過ぎたため、小林はNIHの中で孤軍奮闘を強いられていた。
だが、独学であらゆるがん治療法を学んできた三木谷は、小林の説明を聞いてこう考えた。
「話の道筋は通っている」
三木谷はすぐに個人としての資金支援を申し出た。その後、小林の研究はNIHから医薬ベンチャーのアスピリアンにライセンスされ、実用化に向けた研究が始まる。しかしその最中、良一の命が尽きた。
失意の中で三木谷はリベンジを誓う。
「親父には間に合わなかったが、この治療法で世界中のがん患者を救ってみせる」
8月25日の事業説明会で筆者は三木谷に問うた。
「楽天グループがメディカル事業に乗り出したきっかけは、お父様の膵臓がんでした。イルミノックス治療で膵臓がんに打ち勝てる日は来るのでしょうか」
三木谷は素直に答えた。
「その日が近いとも、簡単だとも思っていませんが、個人的にはそこがひとつのゴールだと思っています。私の野望であり大きな目標です」
楽天メディカルジャパンはがん細胞だけに選択的に集積し光に反応する薬品「アキャルックス」と、そこに光を当てるための医療機器レーザ装置「バイオ・ブレードレーザシステム」の開発に漕ぎ着けた。まもなく10年になる三木谷の「がんとの闘い」はまだ始まったばかりだが、三木谷浩史という起業家の原点を考える時、父・良一は不可欠な存在だ。
三木谷が物心ついた時、一家は大学の職員住宅で暮らしており、幼い三木谷は父のゼミの学生たちにキャッチボールの相手をしてもらった。父の留学について行く形で幼い頃に米国での生活も経験しており「古いフォルクスワーゲンでドライブに連れて行ってもらうのが楽しみだった」と語っている。艱難辛苦を乗り越えて成功を掴む、かつての起業家とはおよそイメージが違う。
筆者は三木谷にこう尋ねたことがある。
「三木谷さんは、コンプレックスをバネにするみたいな部分はないのですか」
三木谷は怪訝な顔をした。
「グーグルやアマゾンの創業者の原動力がコンプレックスだと思う? 目の前にやりたいことがあって、夢中でそれをやっているだけ。コンプレックスで頑張るというのは、かなり昔の話じゃないかな」
浪花節が好きな日本人にはあまり好かれないタイプかもしれないが、将棋の藤井聡太やメジャーの大谷翔平からもコンプレックスは感じ取れない。根性や悲壮感ではなく「高みを目指したい」という向上心で軽々と常識を超えていく。三木谷はそんな新世代・起業家の日本における先駆けかもしれない。
(最終回後編に続く)
【プロフィール】
大西康之(おおにし・やすゆき)/1965年生まれ、愛知県出身。1988年早大法卒、日本経済新聞社入社。日本経済新聞編集委員、日経ビジネス編集委員などを経て2016年4月に独立。『ファースト・ペンギン 楽天・三木谷浩史の挑戦』(日本経済新聞)、『東芝 原子力敗戦』(文藝春秋)など著書多数。最新刊『起業の天才! 江副浩正 8兆円企業リクルートをつくった男』(東洋経済新報社)が第43回「講談社 本田靖春ノンフィクション賞」最終候補にノミネート。
※週刊ポスト2021年10月8日号