今回の東京五輪開催に伴い、鉄道面では、東京メトロ日比谷線の「虎ノ門ヒルズ駅」や、京浜東北線、山手線が乗り入れる「高輪ゲートウェイ駅」が新たに開業した。過去の五輪を振り返ると、五輪に向けて開業した駅や鉄道は大きな注目を集めていた時代があった。当時の状況や知られざる鉄道会社の奮闘について、鉄道ジャーナリストの梅原淳さんがレポートする。
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今回の東京五輪・パラリンピックは無観客での開催だったため、観客輸送のために準備を整えていた鉄道が脚光を浴びる機会はなかった。だが、過去を振り返ると、国内で開催された歴代の五輪では、五輪のために開通した鉄道が大会と同じくらい話題となっている。
1998年に開催された長野五輪では現在の北陸新幹線の高崎-長野駅間が開通し、1972年の札幌五輪では、日本初のゴムタイヤ式の鉄道である札幌市営地下鉄南北線の北24条-真駒内駅間が開業を果たし話題になった。そして1964年の東京五輪では、東海道新幹線の東京-新大阪駅間に加え、現在の東京メトロ日比谷線の全線や都営地下鉄浅草線の一部も開業している。
多くの人々にとって、五輪に合わせて誕生した鉄道として印象に残っているのは東海道新幹線だろう。東海道新幹線は、東京五輪の開会式が開催された10月10日の9日前に開業式を行って、世界の人々を驚かせた。何しろ日本の鉄道はそれまで、世界的に見れば見劣りする場面が多かったからだ。
例えば、列車の最高速度は欧米では既に第二次世界大戦前から時速160km程度であったのに、日本では1958年になってようやく時速110kmの壁を突破したばかりであった。にもかかわらず、当時の世界最高速度である時速210kmで走る列車で東海道新幹線が開業したのだから、人々の驚きようは想像できる。
加えて、実際の長さが515.3kmもある東京-新大阪間の線路の着工は1959年4月20日。着工からわずか5年5か月余りで開業式を迎えたことになる。日本の鉄道史上でもこれほどの長い距離の線路を短期間に作りあげたのは後にも先にも東海道新幹線しかない。
一体なぜ実現できたのか。それは、第二次世界大戦前から新幹線の研究が続けられていて、JRの前身となる国鉄は技術面で自信を持っていたからだ。その自信に加えて、晴れの舞台である東京五輪に何が何でも間に合わせようと、関係者が一丸となって研究開発や建設工事を進めたことも大きい。