5万人の地主相手の買収交渉
偉業であるのは間違いないが、全ての工程において突貫作業、突貫工事であったため、これまた現在では信じられないような出来事も起きた。ここからは、少し肝が冷える、笑える話を紹介しよう。
東海道新幹線の線路や駅などに必要な用地は合わせて約1116万平方メートルで、約4万7000平方メートルの東京ドーム238個分に相当した。しかし、建設に当たって国鉄は220万平方メートルの土地しか用意していなかったので、残りは地主と交渉して買収しなければならない。その地主の人数は約5万人に上った。
国鉄は、当初わずか120人の担当者で用地の買収に当たったが、さすがに足りないことが分かると、最盛期には他部署の人員も駆り出して地主との交渉に臨んだ。開業2年前の1962年には9割の用地が取得できたが、この手の交渉は残りの1割が大変だ。神奈川県の川崎市内や静岡県の浜松市内、愛知県の名古屋市内、京都府の京都市内では交渉が特に難航し、最終的に用地を取得できたのは開業の9か月前となる1964年1月20日であった。
それから大急ぎで線路の工事を進め、東京-新大阪間のレールが全て繋がったのは何と1964年7月1日のこと。そう、東海道新幹線は、開業のわずか3か月前に完成したばかりの線路を使って営業を始めたのである。
用地買収や建設工事は難航したものの、技術面では蓄積があるので遅れをカバーできたのではないかと考えるかもしれない。しかし、車両も線路も新たに開発したものが多く、テスト走行を実施してもなかなか順調に走ってくれない。東海道新幹線開業前に実施されたテスト走行で運転された列車が、何のトラブルもなく走り出したのは一体いつであっただろうか。
多くの人は開業の1年前くらいには順調に走るようになったと思うに違いない。しかし、答えは全く違う。開業日までテスト走行の列車がトラブルなく順調に走った日は、実は1日もなかったのだ。東海道新幹線開業30周年を記念してJR東海が発行した『新幹線の30年』の104ページには次のように記されている。
「開業の前日まで、試運転や訓練運転があると、1時間以上の列車遅延や運転休止が頻繁に発生していた。それでも、昭和39年10月1日の開業の日はついに訪れたのである。この日、関係者は、『今日1日だけは、いや初列車だけでもよいから正常に走ってほしい』と神に祈る思いだった」