その日、終着駅に到着した全60本の列車
筆者は開業日の上り一番列車となる「ひかり2号」の運転士を務めた人にインタビューしたことがある。その運転士は新大阪駅で列車に乗り込む際、駅長にこう言われたという。
「何とか(終点の)東京駅まで走りきってくれ。それが無理なら次の駅の京都駅まで、それも無理ならテレビのカメラに映らなくなるまで何とか走りきってくれ」
開業日当日。多くの関係者の不安をよそに奇跡が起きた。この日運行された60本の営業列車のうち、1本は車内機器の故障が起き、1本は信号設備の故障に遭遇してそれぞれ途中駅で20分の遅れが生じてしまう。しかし、これら2本の列車も遅れを取り戻し、全60本の列車が定刻どおり無事終着駅に到着したのだ。
20分も遅れているのになぜ定時運行に戻ったかというと、大事をとって前もって余裕のあるダイヤを組んでいたからである。本来、東京-新大阪間は途中の名古屋駅と京都駅に停車する「ひかり」が3時間10分、各駅停車の「こだま」が4時間で走る予定となっていた。だが国鉄は、初めて開業した新幹線で列車がトラブルなく運行できるようにと「ひかり」は4時間、「こだま」は5時間と1時間ほどあえてゆっくり走らせていたのである。
先述の上り初列車の運転士によると、東京-新大阪間を4時間で走るとなると、最高速度の時速210kmを出す必要はなかったという。それでも、当時連結されていた軽食・喫茶室のビュッフェには速度計があり、この日を楽しみにしていた乗客のためにと、ところどころであえて時速210kmで走って記念写真タイムを演出したのだそうだ。
この時のようなドキドキ、ハラハラはもう無いかもしれないが、次回の五輪の際には、また違った驚きで観客を賑わせてほしい。
【プロフィール】
梅原淳(うめはら・じゅん)/鉄道ジャーナリスト。大学卒業後、三井銀行(現在の三井住友銀行)入行。雑誌編集の道に転じ、月刊「鉄道ファン」編集部などを経て2000年に独立。現在は書籍の執筆や雑誌・Webメディアへの寄稿、講演などを中心に活動し、行政・自治体が実施する調査協力なども精力的に行う。近著に『新幹線を運行する技術 超過密ダイヤを安全に遂行する運用システムの秘密』がある。