監視委員会の調査によって2009年3月期以降、実に2248億円もの利益の水増しをしていたことが明らかとなった。日本を代表する名門企業が“粉飾決算”に塗れていた事実は世界中を驚かせた。
監視委員会は、その恣意的な悪質さから東京地検特捜部への告発を用意した。当然の流れだった。ところが……。
特捜部は監視委員会の告発を頑として受けようとしなかった。業を煮やした佐渡は、検察時代の後輩で気心のしれた検事総長に自ら連絡をし、翻意を促すという非常手段にも訴えたが、それも虚しかった。監視委員会の若手が記者会見を強行しようとする顛末まであった。けれども、捜査当局はピクリとも動かぬままだった。
なぜか? それは時の安倍政権が東芝を守ったからだ。当時、東芝の社長、会長を務めた西室泰三(2017年没)は政府肝いりの「戦後70年談話に関する有識者会議」の座長を務め、また佐々木則夫(元社長)は「経済財政諮問会議」のメンバーでもあり、原子力問題で首相官邸とは不離一体の関係にあった。
“数字”を作り出していた
それでも、西田(厚聰。元社長。2017年没)、佐々木、田中(久雄。当時社長)という歴代3人の社長が監視委員会から事情を聴かれるという異常事態が続いた。
古巣が非常事態の中、“肩書コレクター”とも揶揄された西室は、すでに財界人ならば望むべくもない東京証券取引所の社長を経験しながらも、なおも日銀総裁の椅子を狙おうと躍起になっていたとされる。会社の存続よりも我が身の名誉を優先しているように見られていた。
粉飾決算に深く関与していると言われたのが異色の経営者と呼ばれた西田だった。
東京大学大学院で西洋哲学を学び、イラン人女性を妻とし、東芝のイランの現地法人に臨時職員として雇われた西田は、自らの才覚だけで2005年に社長にまで上り詰めた。
アグレッシブな経営者だった西田は、東芝の経営の柱に原子力事業を据え、そのために米原子力大手「ウェスチングハウス」を巨額で買収。その姿勢はおっとりとした社風の東芝の中で異彩を放っていた。
元々「パソコン事業部」出身の西田の社長就任は1年遅れた。出身母体の「パソコン事業部」が170億円もの赤字を出したからだった。ところが、翌年、西田のテコ入れもあり同事業部は一転、80億円もの黒字決算を記録する。西田の辣腕は称賛され、業界は仰天した。わずか1年でなぜ黒字になるのかと。
粉飾決算による嵩上げだった。西田は頑として認めようとはしなかった。けれども、西田側近だった田中がパソコン事業部の調達において、粉飾の取引を繰り返しては、“数字”を作り出していたと、後に第三者委員会の報告書で指摘されている。