東芝再建に尽くした故・土光敏夫(社長在任期間1965年5月~1972年8月/時事通信フォト)
パソコン事業部で始まった粉飾は、他の部門にも蔓延していく。
東芝は委員会設置会社などコーポレートガバナンスが利いている会社といわれていた。ところが、表層的な企業統治のその裏では、とてつもない不正行為が日常茶飯のように行なわれていた。
それを歴代経営者は問題視するどころか、虚偽の“数字”を作ることに余念がなかった。第三者委員会の報告書では、佐々木社長時代には1000億円単位でこの粉飾が行なわれていたと認定しているほどだ。
東日本大震災による東京電力福島第一原子力発電所の未曾有の事故により、東芝が社運をかけた原子力事業は壊滅状態に陥る。それに加え、西田と後継者、佐々木との諍いは修復不可能な状態となる。西田は会長の座にあった。
「西田さんが佐々木さんを道連れにして2人揃って身を引くしか東芝は救われない」
ある財界人がこう西田に進言したことがあった。西田はしばし、黙ったままだった。返って来た答えは「NO」だった。
「それはやっぱり無理ですよ。……どう考えても無理ですよ」
それは西田には無理な相談だった。当時、西田があれほど不仲の佐々木体制下で会長に留まっていたのは、“財界総理”と呼ばれる経団連会長の椅子に恋々としていたからだったとされる。
先の財界人も何度となく、経団連会長のポストなど意味のないものだ、と説いても西田が首を縦にふることはなかった。経団連会長になるには、東芝の会長ポストにいることが最低条件だった。(文中敬称略)
【後編に続く】
※週刊ポスト2021年12月10日号