東芝の3分割案について綱川智・社長CEOは、「総合電機メーカーではなくなる」と記者会見で認めた。なぜ“日の丸家電”の象徴は解体に追い込まれようとしているのか……『テヘランからきた男 西田厚聰と東芝壊滅』の著者であるノンフィクション作家の児玉博氏が、その岐路に立ち返った。【前後編の後編。前編を読む】
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“メザシの土光”の戒め
西田(厚聰)の夢もあっけなく終わる。自らを社長の座に座らせてくれた“粉飾”が発覚し、その責任を佐々木(則夫)らとともに取り、退任したからだ。
かつて東芝の社長であるばかりか、経団連会長、そして臨調会長を務め、“メザシの土光”として広く知られ、また絶大な国民の支持を得ていた土光敏夫。
東芝の経営危機に際して社長としてやってきた土光は、社長室に専用バスルームがあるのに驚き、即刻撤去を命じた。
土光は全社員に勤勉に働くことを説き、無駄遣いを戒めた。その上で失敗しても再度挑むことの重要性を説き、社内に「チャレンジ」という言葉を敷衍させた。後にこの「チャレンジ」という言葉は、目標達成できなかった場合に“粉飾”を助長する言葉に変容してしまう。
土光の戒めはもう1つあった。
「東芝で財界活動をするのは俺が最後だ。これ以後、財界活動は相成らん」
そして土光は、東芝は財界活動できるような会社ではない、心得違いをするなと幹部らを睨みつけた。