しかし、その禁もすぐに破られると東芝トップは財界活動こそ我が天職とばかりにそれに勤しみ、そして社員らも財界トップを出す会社と勘違いを繰り返してきた。“粉飾”で買った勲章のようなものだった。
西室(泰三)、西田、佐々木、田中(久雄)、そして西室が指名した室町正志、室町を継いだ綱川智。東芝の今後について決定的な決断を下したのは、西室、西田、佐々木らの影響力を排除した結果、人畜無害ということで選ばれた綱川だった。
2016年12月。東芝は買収した「ウェスチングハウス」の減損処理、明るみに出た粉飾決算などの影響で債務超過に陥る可能性が強くなっていた。こうした状況を受けての役員会。重苦しい雰囲気の中、綱川の言葉が響く。まるで世間話をするかのようだった。
「(債務超過になると)うちは、銀行の管理会社か、法的整理ということですか……、どっちがいいんでしょうね?」
綱川はこう言うと左右の役員に同意を求めるように顔を向けていた。
さすがに責任をすべて放棄したかのような発言に、あちこちから、「社長、言葉に気をつけてください」と厳しい叱責が飛んだ。だが、綱川はことの重大性にまるで気付いてはいないようだった。
「東芝が僕らの恩人なんだ」
そして、この1年後の2017年12月、綱川は海外の投資ファンド60社を引受先とする第三者割当増資を行ない、およそ6000億円を調達する。2期連続の債務超過、そして上場廃止の絶体絶命の危機に追い込まれていた東芝は生き残った。
強欲な株主対策として銀行出身の車谷暢昭を社長に据える。が、猛獣使いの車谷も東芝プロパーらに疎まれ、裏切られ万策尽きる。そして、再び綱川が社長に返り咲く。東芝に人材は残っていなかった。綱川は予想通り、株主らの言いなりだった。
ファンドが株主であることの意味を綱川がどれだけ認識していたのか? それから4年、東芝は株主の意向で、切り刻まれ日本経済史からその姿を消そうとしている。