親子だからかどうか、体のレベルが上がる瞬間がわかるのね。たとえば少し食欲が戻ってきたタイミングで、たらこひとかけ、鰻の煮付け少々、卵焼き数切れをそれぞれスプーンにのせて、満漢全席とは言わないまでもお膳をめいっぱい華やかにしてベッドのテーブルに置いたときよ。母の目がキラリと光って、もう一段、食欲が増したのよ。
「母ちゃん、食ってうまいものがあるうちは死んだら損だど」と言うと、「そら、そうだ」と言ってヘラッと笑った。ロクシタンのシャンプーで髪を洗ってもらって「いいにおいだね~」とうっとりしたときも、ヘアマニキュアで染めてもらった髪を鏡で見たときも、150cm足らずの小さな体から力が湧き上がってくるのが見えるようよ。
93才の足腰の不自由になった母親の本音
母親の話をすると人はみな、「生命力が強いんですね」と言うし、その通りだと思う。私の母親の父親、つまり祖父は97才まで生きている。一族に長生きした人がいると、家族の気持ちがどんなに安定するか、私は見て育っている。と同時に、人の生命力とはどんなものか、思わずにいられないんだよね。
母親を見ている限り、自分とわが子を守るためになりふり構わず、時にはとてもじゃないけど褒められたことじゃないこともする。月日が流れて、娘の私が母親の世話をする番になって、その生命力に圧倒されながら、うんざりしているのも事実なんだわ。
施設に入るに当たって、ジタバタしたのもそう。冬の実家は寒すぎる。「去年みたいに冬の間だけ施設に入ってよ」と言うと、「そんなことしてみろ。こうしてやっかんな」と首に手を当てて脅して見せたかと思えば、ダンマリ。かと思えば、自分が「オシマ婆さん」を老人ホーム送りにした過去をさしおいて悪態をつく。
「オシマ婆さん」とは早逝した父の母親で、母ちゃんにとっては姑だ。なかなかクセの強い人で、私たち孫にはよきお婆ちゃんだったけど、嫁の母ちゃんには姑風を吹かして激しくバトっていた。そのオシマ婆さんが80才手前で認知症の症状がひどくなってきたとき、母ちゃんの決断は早かった。老人ホームに入れることを義姉たちに承諾させたのよ。
自宅介護が当たり前だった頃だけに、「あんなに孫の世話したのに老人ホームか」とご近所は中2の私に囁いた。それを母ちゃんに伝えると、「言いてぇ人には言わせとげ」と言ってプイと横を向いた。