徳島県警を退職後は犯罪コメンテーターとして活躍する「リーゼント刑事」こと秋山博康氏の連載「刑事バカ一代」。秋山氏が現役時代に手掛けた「徳島・淡路父子放火殺人事件」の有名なポスターが誕生した経緯を明かす。
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おはようさん、リーゼント刑事こと秋山博康です。
警察人生42年間の大半を徳島県警の刑事として過ごしたワシにとって、ターニングポイントとなったのが2001年に発生した「徳島・淡路父子放火殺人事件」や。
この年の4月、徳島市と兵庫の淡路島で父子の焼死体が発見された。いずれも絞殺してから遺体を焼く残忍な手口で、父子にカネを無心していた小池俊一という男(当時40)が捜査線上に浮かんだ。
当時、ワシは徳島県警察本部の捜査第一課特殊班係長として捜査の指揮を執った。間もなく小池の容疑が濃厚になったため、ヤツの自宅をガサ入れして決定的な証拠を得ることを県警幹部に進言したが、「捜査上のリスクが大きい」と聞き入れられなかった。
現場の捜査員と幹部の意見がすれ違い、ほんのわずかに生まれたスキを突いたのは小池だった。24時間態勢で捜査員が張り込んでいた自宅マンションを飛び出し、車で逃走したのだ。腸が煮えくり返る思いで追跡捜査を指示したが小池の姿を完全に見失い、のちにヤツは全国に指名手配された。
この屈辱の日から、ワシは刑事生命を懸けて小池を追い続けた。
ちょうど同時期に、フジテレビから「全国の名物刑事を集めて番組を作りたい」と申し入れがあった。当時の上司に「テレビで小池の情報提供を呼びかけろ」と背中を押されたこともあり、警察特番の密着取材を受けることになった。
《徳島 泣く子もダマる! 熱血リーゼント刑事》
翌2002年、こんなテロップとともに密着取材の様子が放送されて、ワシは「リーゼント刑事」として全国デビューした。どうも徳島にリーゼントの変な刑事がおるらしい……放送後にそんな評判が駆け巡って他局からもオファーが相次ぎ、四国の一刑事だったワシの名は次第に全国区になっていった。