キャリア

卒業式のあり方はどう変わってきたか 「消えた歌」「第2・第3の卒業式」他

1969年、大阪の府立高校では全共闘の生徒がバリケードで封鎖し、保護者も生徒も中には入れず卒業式の開催を妨害。大学の学生運動が高校にも飛び火した(写真/共同通信社)

1969年、大阪の府立高校では全共闘の生徒がバリケードで封鎖し、保護者も生徒も中には入れず卒業式の開催を妨害。大学の学生運動が高校にも飛び火した(写真/共同通信社)

 その一方、2020年にアバター卒業式を企画実践したビジネス・ブレークスルー大学(BBT大学)教授の谷中修吾さんは、今年の卒業式は「リアルへの回帰」を実践すると言う。

「そもそも卒業式は、学生生活を総括し、新しい門出に向かうスイッチを押す場でもあります。オンライン授業などでしか会ったことがなかった同級生や先生と、リアルな交流を持つことが、卒業後の次に向かう熱量にもつながるので、今年はあえてアバターを使わず、リアルとオンラインのハイブリッドで卒業式を執り行います」

 コロナ禍も3年目となり、卒業式の贅肉が削ぎ落とされたと評価する教育関係者も多い。

消えた歌と義務化された国歌

 次に、卒業式で歌われる歌の変遷を見ていこう。かつてはどこの学校でも歌われていた『仰げば尊し』や『蛍の光』を歌う学校は、いまや少数派となっているという。

「明治期に作詞されたこれらの曲は、戦前の学校の体質を表しており、戦後の価値観には合わないため、徐々に歌われなくなりました。その一方で、国歌斉唱は1989年の学習指導要領改訂により、卒業式と入学式で国旗掲揚とともに義務付けられ、公立のほぼすべての学校で歌われています。私立学校は放任されていますが」

 そう話すのは元・文科事務次官で、現代教育行政研究会代表の前川喜平さんだ。明治期は〈学校は国のためにある〉との考え方で、教育現場にも軍隊由来のものが多かった。詰襟の学生服はもともと陸軍の軍服。体育での“前へならえ”などは兵式体操からきている。これらと同様に、上下関係を重んじる意味合いが『仰げば尊し』という歌にも存在している。

 また、『蛍の光』は4番の歌詞に領土拡張主義が反映され、〈千島の奥も沖縄も〉という詞が戦局に応じて〈台湾の果ても樺太も〉に変わったほどだ。

関連キーワード

注目TOPIC

当サイトに記載されている内容はあくまでも投資の参考にしていただくためのものであり、実際の投資にあたっては読者ご自身の判断と責任において行って下さいますよう、お願い致します。 当サイトの掲載情報は細心の注意を払っておりますが、記載される全ての情報の正確性を保証するものではありません。万が一、トラブル等の損失が被っても損害等の保証は一切行っておりませんので、予めご了承下さい。