介護にはさまざまな苦労がある。時として家族の絆を壊しそうになることもある。だからこそ、被介護者が亡くなると、残された介護者は複雑な心境になる。女性セブンの名物ライター“オバ記者”こと野原広子さんが、自宅介護を経て93才母を看取った体験について綴る。
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母の介護の話を何度も書かせていただき、そのたびに温かい励ましの言葉をくださった読者の皆さまにご報告します。3月初め、母が永眠しました。93才でした。あと8日で94才になれたのですが、それでも幸せな最期だったと思います──。
最期くらいは家で看取ってやろうかな
それにしても母ちゃんには、してやられたわ。介護の始まりは昨年6月。自宅で倒れ、運ばれた病院で「危篤」を告げられ、そのまま2か月間入院したけれど状態は変わらない。
「コロナ禍でお見舞いもできないなら、最期くらいは家で看取ってやろうかな」と私が言い出したとき、11才下の弟は「姉ちゃん、いいのげ(いいのか)」と私の顔を見たもんね。いいも何も、私がちょっとだけ首をタテに動かしたら済む話。ひとり暮らしだから、誰に相談することもない。
「もって2週間……長くても1か月」と、生きたシカバネの母ちゃんを見て、そんな見立てをしたんだと思う。
「母ちゃん。何か食いてえものあっか?」
8月、退院してきたばかりの母ちゃんの姿を残そうと、私は食事風景を動画に録った。口を閉じてぼんやりと私を見ている母ちゃんに、それはそれは甘い声を私はかけた。思えば晩年は病気ばかりしていたけれど、最後に「この世はいいところだったな」と思ってもらいたかったのよ。
あの世には、32才で亡くなった私の実父も、一昨年亡くなった宮大工で年子の弟もいる。東京まで米や野菜を運んでくれた義父もいる。みんなに、この世のいい思い出を届けてもらいたいと思った私は、毎朝ホットタオルを作って、寝ている母ちゃんの顔を拭いて起こしたの。
朝と晩は、母ちゃんの好きな魚卵や珍味をスプーンにのせて小皿にちまちま用意した。それなりに華やかな食卓を見た母ちゃんは目をギラリと光らせて、「ん?」と言いながらベッドから身を起こしたっけ。
自宅に戻った2週間目、シャンプー・カット・ヘアマニキュアを訪問看護師さんにしてもらったのも、母ちゃんを元気づけた。「ほら、母ちゃん。どうだ?」と鏡を見せたら、なんと笑ったのよ。そうなんだよね。私はこの笑顔を見たくて、介護を引き受けたんだわ──。