閉じる ×
トレンド

日本は金で溢れているという「黄金の国ジパング」伝説はどう生まれたのか

『平家物語』と金

 平安時代末期の日本で砂金が採取できたのは、奥州藤原氏の支配下にあった北上山地一帯である。源義経の逃亡を助けた吉次のような金専門の商人が、都と奥州平泉の間を盛んに往来していたことだろう。朝廷や平氏政権も、おそらく金の安定供給を確保する意味から、半独立状態にある奥州藤原氏とは事は構えず、協調を第一としていた。

 おかげで平氏一門もかなりの金を所有しており、『平家物語』巻三の「金渡」には、そのことをうかがわせる次のような逸話が載せられている。

 清盛の嫡男・重盛が自身の健康状態と一門の行く末を案じて、九州から妙典という宋人を招き寄せ、金3500両を託した。妙典は依頼の通り宋に渡ると、宋五山の一つに数えられる育王山へ赴き、阿育王寺の住職に1000両を寄進、宋の皇帝に2000両を献上し、残りの500両を報酬として自分のものとしたという。

 ここにある育王山阿育王寺は浙江省寧波市に現存する。釈迦の遺骨を分骨して納めた仏舎利塔のある古刹で、重盛による寄進を史実と裏付ける証拠は残念ながらないが、曹洞宗の開祖・道元や東大寺の復興に尽力した重源も訪れるなど、同寺は日本とも馴染みが深い。白河法皇が所持していた仏舎利も、阿育王寺から得たものと伝えられる。

 仏舎利を得るには多額の寄進をしなければならない。前後の実例からして、寄進されたモノに金が含まれていた可能性が高い。そう考えると、日本の有力者からの寄進を背景に、「日本は金で溢れている」とする認識が宋の一部で生まれ、伝聞を重ねるうち、シルクロードを伝って「黄金の国ジパング」伝説が形成されたのではないか。

【プロフィール】
島崎晋(しまざき・すすむ)/1963年、東京生まれ。歴史作家。立教大学文学部史学科卒。旅行代理店勤務、歴史雑誌の編集を経て現在は作家として活動している。『ざんねんな日本史』(小学館新書)、『いっきにわかる! 世界史のミカタ』(辰巳出版)など著書多数。最新刊に『鎌倉殿と呪術 怨霊と怪異の幕府成立史』(ワニブックス)がある。

 

関連キーワード

注目TOPIC

当サイトに記載されている内容はあくまでも投資の参考にしていただくためのものであり、実際の投資にあたっては読者ご自身の判断と責任において行って下さいますよう、お願い致します。 当サイトの掲載情報は細心の注意を払っておりますが、記載される全ての情報の正確性を保証するものではありません。万が一、トラブル等の損失が被っても損害等の保証は一切行っておりませんので、予めご了承下さい。