成長と分配の好循環により「新しい資本主義」の実現を目指す岸田文雄・首相。国民が持つ約2000兆円もの金融資産について、「貯蓄から投資へ」と呼びかけている。金融庁は保険や投資、クレジット・ローンを含む金融経済教育を中学・高校向けに推奨する。しかし、金融や経済の理解に必要なのは、複雑で専門的な「お金の話」ばかりではない。これまで、金融・経済を題材にした小説『エアー2.0』『マネーの魔術師 ハッカー黒木の告白』などを手がけてきた小説家・榎本憲男氏が、資本主義の根幹となる「借金」について考察する。
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ときどき、借金とはなんだろうと考える。考えてみると借金というのはなかなか不思議なものだ。借金はないほうがいいのか、いやあってしかるべきなのかと言うと、ないほうがいいに決まっている、と答える人はかなり多いだろう。借金があると束縛されるようで落ち着かないという感覚に共感する人は少なくないはずだ。借金は怖い、借金は身の破滅につながる、堅実な生活が一番だと思う人もいる。あれが欲しいこれも欲しいと贅沢を言わないで、今ある手持ちのお金でそれなりに楽しく暮らしていけばそれでいい、という考え方もある程度の支持を得られると思う。
けれど、上記のような考え方をする人ばかりが集った社会では、景気は良くならない。資本主義経済は(広い意味での)借金がないと成立しないものなのだ。資本主義は借金を前提にしていると言っていい。経済の教科書では、ここを借り手ではなく貸し手に注目して語る。つまり、銀行が資本主義社会の必須アイテムだということだ。金を貸すことが資本主義のシステムにとって必須ということは、借金をセットアップしないとやっていけないってことだ。
この借金が経済全体の中で占める割合は、どんどん膨らんでいる。アメリカのGDPは、1990年から2007年にかけて、2.4倍に伸びた。その中で、商業銀行(普通の銀行をイメージしてもらえばいい)の金融資産の伸びは3.4倍。これに対して、投資銀行(法人顧客に対して金融仲介業務を行う銀行)の金融資産は11.8倍という驚異的な伸びを見せている(出典:『変貌する資本主義と現代社会』正村俊之著より)。つまり、物を作って売ったりすることよりも、借金したりさせたりしながら、借金でこしらえた金融商品を買ったり売ったりする活動が、経済全体でメインになっている。
消費行動も然り。リーマンショックが起こる2年前の2006年の数字を見てみよう。アメリカのGDPに対する企業利潤のシェアは1960年代以降で最高値(10.3%)を示していた。この一方で、GDPに対する労働者賃金が占める割合は過去最低の45.3%(出典:同上)。企業は儲かっているけども給料がそんなに上がっていないという状況が読み取れる。けれども、当時のアメリカ合衆国は世界最大の消費国だった。つまりみんな盛んに物を買っていたわけだ。
給料が上がってないのに消費が活発なのはどうしてか。理由はひとつしかない。借金消費である。これを経済学では信用経済なんてややこしい名前で呼ぶ。信用という言葉が曲者だが、これも借金だと思えばいい。クレジットカードでの買い物がある意味借金だというのはわかりやすいだろう。で、英語のcreditやドイツ語のKreditは「信用(貸し)」を意味する。借金によって経済が活気づいていたわけである。
借金することによって、空っぽだった手にお金を握ることができる。借金は、“ないものをあるものにしてくれる”。この魔法を、かけ算していけば、なかったはずのお金がどんどん増える。これをレバレッジと呼ぶ。レバレッジとは梃子(てこ)。梃子を使うと動かせないと思われた大きくて重いものだって動かせるというわけだ。このようにして、なかったはずのお金を景気よく膨らませ、金融市場のカジノで一発当てて勝ち組になり、こんどは貸し手に回る。これが今の世の中で最も鮮烈な下剋上だ。