オバ記者:でも、確かにそうよね。貴重なワンチャンスがあったかもしれない、って後から思うと引きずっちゃう(笑い)。で、かわいそうなラットたちの実験でどういうことがわかったの?
橋本:はい、「溺れるか泳ぐか」の状況に置かれた彼らは、結果として2種類に分かれました。体力的な個体差があったにしても、「15分ほどあがいた後にあっさりあきらめたラット」と、「肉体的限界まで平均60時間を泳ぎ通したラット」にはっきり分かれたそうです。
オバ記者:60時間も泳がされて、がんばり通したのに……かわいそうすぎ。割に合わないにもほどがあるわ。でも先生、それにしても、対照的な2種類に分かれたのはどうしてなのかしら?
橋本:そこに疑問を抱いた研究者たちは、次の実験を始めたそうです。
ギャンブルの成功体験で「明るい未来しか考えない」
【実験2】
(1)今度はまず、ラットをケージからいったん逃がしては捕まえるということを何度か繰り返した。
(2)それからラットを瓶に入れ、水噴射を数分間浴びせた後で瓶から取り出し、ケージに戻した。これを何回か繰り返した。
(3)そして、前出の【実験1】と同じことをした。さて、ラットはどのくらい泳いだか?
橋本:実験1を行う前段階として、上の(1)(2)が加わったわけですが、さて野原さん、今度のラットたちはどんな反応を見せたと思いますか?
オバ記者:この答え、わかります。ズバリ、「希望」があるかないか、でしょ? 希望があれば最後までがんばり通せる、と。
橋本:さすが野原さん、ご明察です。15分であきらめたラットは1匹もいなかったのです。
オバ記者:でも、動物は死を恐れないでしょうし、ラットに「希望」という概念はないわよね。
橋本:ないでしょうね。未来の予測はできないし、「希望」や「信念」といった概念もない。あるのは、“成功体験”です。(1)(2)を経験したラットたちは(たとえそれが仕組まれたものであっても)、捕獲者の手から逃げることができたし、水噴射を切り抜けることもできた。その経験があったから、新たな困難に直面しても、不快な状況に耐えることができたのです。
自力で状況を変えることができることを覚えた彼らは、むざむざ無策のまま溺れることなく、最後まで長時間、粘り強くがんばり通したのです。これを「希望」と称するかはともかく、体で覚えた成功体験が彼らの生存本能を長らえさせたことは確かです。おや、野原さん、大きくうなずいていらっしゃいますが、心当たりがおありですか?
オバ記者:過去の成功体験がものをいうといえば、私の場合、ギャンブルは希望の塊だよね。明るい未来しか考えない。
橋本:なるほど、そっちですか。「明るい未来しか」と言うからには、当たることしか頭にない?
オバ記者:そりゃそうでしょ。帰りにオケラ街道を歩くかも‥‥なんて思いながら競馬場に向かう人はいないのよ。
橋本:はい。
オバ記者:私はいま衆議院議員会館でアルバイトをしていて時給が1050円なんだけど、それが突如2万円に化けることはないわけ。だけど、ギャンブルは数分で大金を稼げる可能性があるわけよ。
橋本:はい。
オバ記者:しかも私はその成功体験を持っているわけね。
橋本:なるほど。
オバ記者:まぁ、その3000倍は失敗もしてるんだけど(笑い)。