給仕係が女性職員のスタートだった
「はやきこと、神のごとし」。
150年前の開業時、初めて鉄道に乗った24才の青年はそう書き残した。当時、人々は新橋-横浜間の約29kmを8時間かけて歩いていた。だが鉄道の登場により、所要時間が一気に53分に短縮されたのだから、驚愕するのも無理はない。
あまりの衝撃に、当初、鉄道は化け物扱いされていたと、鉄道ジャーナリストの枝久保達也さんが語る。
「一般の人にとって、鉄道は見たことがないくらい大きく、速く、煙を吐いて走る、得体の知れない“化け物”でした。不思議がって車体に不意に近づいてはねられる事故もあったようです。当時の人々は、“汽車に化けたたぬきが、本物の汽車と競争した”と噂したと伝えられています」
開業時は、上等、中等、下等の3種の座席があり、上等の運賃は下等の3倍。上等はいわば「ファーストクラス」の特等席だったのだ。
「等級制は1960年代まで続きました。この約100年の間にサービスが向上し、寝台車や食堂車、グリーン車などが登場しました。当初のグリーン車は名士が乗るもので“この車両のこの席は○○氏の指定席で、ほかの人は座ってはいけない”という暗黙の了解があったそうです」(枝久保さん・以下同)
身分の差が色濃く残る時代、鉄道とかかわるのは男性が中心だったことは間違いない。だが意外にも、初期の頃から鉄道に関する仕事をする女性もいた。
「フランスの風刺画家のジョルジュ・ビゴーの作品に、和服姿に下駄を履き、子供を背負った日本の女性が、旗を持って踏切番をしている絵があります。正式な職員ではなく、地元住民にお金を渡して仕事をさせたのでしょうが、初期の段階から鉄道とかかわる女性が多数いたことが読み取れます」
1902年、香川県高松市が鉄道の喫茶室で働く女性給仕係を募集したところ、応募が殺到。8人が採用された。記念すべき初の女性職員が誕生したわけだが、募集要項は当時の世相を反映していた。
「『小学校を卒業し、容貌が醜悪ではない者』『品行方正の処女たる者』と、いまの時代なら炎上間違いなしの要項です。応募は代議士の娘や旧武家の子女などがほとんどだったようです」
その翌年、国鉄は事務職の女性職員が出札業務(切符の販売)を行う実証実験を行った。いまでいう「みどりの窓口」の業務である。
採用された女性たちは優秀で、乗客からの評判もよかったため、女性の出札業務は拡大。1914年の東京駅開業時は、出札係の4分の3は女性だったとされている。