トレンド

鉄道150年と女性職員 給仕係、花嫁候補、労働基準法…時代に翻弄されたその歴史

三代歌川広重「東京汐留鉄道舘蒸汽車待合之図」(明治6年/国立国会図書館デジタルコレクション)

三代歌川広重「東京汐留鉄道舘蒸汽車待合之図」(明治6年/国立国会図書館デジタルコレクション)

 翌1915年には大阪にある南海鉄道の芦原町駅で、日本初の女性駅長が誕生した。就任したのは、当時22才の衣川春野さんで、黒い事務服に白いエプロン姿でホームに立ち、誇らしげに発車の合図をしていた。

 この頃から、鉄道乗務員として働く女性が徐々に増えていった。そして大正から昭和へ時代が移ると産業が発展し、労働力不足に伴い、女性も貴重な戦力となっていく。

 1930年代には東京メトロの前身「東京地下鉄道」が浅草-新橋間に地下鉄をつくり、地下鉄で働く女性が登場した。

「当時、地下鉄に採用された若い男性職員は、“職場でキレイなお姉さんの先輩が毎日隣にいて、仕事を教えてくれてドキドキした”と手記に書き残しています」

 優秀な女性たちが少しずつ前に出られるようになった時代──だが、この頃はまだ「男性職員の花嫁候補」「男社会のマスコット」といった役割も担っていたようだ。

労働基準法施行で職を追われた女性たち

 そんな中、日本は戦争に向かいひた走る。戦況が悪化した1943年、女性で代替できる仕事への男子の就業を禁止する「労務調整令」が出た。鉄道業界においては、本社事務員、駅員、出札、改札、車掌はすべて女性に置き換えなければならなくなった。

 男性の代わりに鉄道業務に就く女性が一気に増えて、前述の東京地下鉄道が発展してできた営団地下鉄では初の女性運転士が誕生。終戦直後はさらに男手が減り、営団地下鉄の車掌はほぼ全員が女性、運転士も半数が女性だったと記録されている。

「戦後、戦場から男性が戻ってくると、女性たちは家庭に帰りました。また、1947年に制定された労働基準法で女性の深夜業務が制限され、泊まり込みの業務が必須な鉄道業界では、さらに女性が減少。同様に深夜業務が必要な看護師や客室乗務員などは“女性がやるべき仕事”として認められていたのに、鉄道で働いていた女性たちは、女性だからというだけで、職を追われることになったのです」

 過酷な労働から女性を守るための法律が、皮肉にも、女性たちから鉄道という職場を奪ったのだ。日本が焼け野原から復興していく高度経済成長期、夫が外で働き、妻が家を守る家庭モデルを国が推奨し、鉄道は再び「男のもの」になっていった。

 1966年に国鉄に入社後、40年間にわたり鉄道人として勤務した、おもてなし創造カンパニー代表の矢部輝夫さんが振り返る。

「昔の国鉄は女性が圧倒的に少なく、職場に女性用の仮眠室やお風呂はありませんでした。女性の業務は電話交換手や事務総務で、当時の男性職員たちは、彼女たちとどう接すればいいかわからなかったのです」

 国鉄が分割民営化された1987年以降も女性の冬の時代が長く続く。1996年度末におけるJR東海の女性社員の割合は、わずか1.3%だった。その後、1999年に男女雇用機会均等法と労働基準法が改正(施行)されて、ようやく女性の深夜労働の制限等が撤廃され、鉄道業界にも女性が活躍する場が広がっていったのだ。

※女性セブン2022年12月1日号

関連キーワード

注目TOPIC

当サイトに記載されている内容はあくまでも投資の参考にしていただくためのものであり、実際の投資にあたっては読者ご自身の判断と責任において行って下さいますよう、お願い致します。 当サイトの掲載情報は細心の注意を払っておりますが、記載される全ての情報の正確性を保証するものではありません。万が一、トラブル等の損失が被っても損害等の保証は一切行っておりませんので、予めご了承下さい。