捜査が続く五輪汚職事件の核となる“スポーツビジネス界のドン”高橋治之被告。彼の金脈の源泉となった弟・治則は、“環太平洋のリゾート王”と呼ばれたバブル紳士だが、その兄弟を支えたキーパーソンが、貸付総額1兆円超のノンバンク・アイチを率いた森下安道である。新刊『バブルの王様 森下安道 日本を操った地下金融』を上梓したノンフィクション作家・森功氏が狂乱の時代と現代を繋げる。(文中敬称略)【前後編の後編。前編から読む】
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兄弟はコインの表と裏
森下はとりわけこの高橋兄弟と親交が深かった。愛知県の漁村に生まれ、戦後に東京に出て貸金業を始めた。自ら経営したアイチはピーク時1兆4000億円の貸付残高を誇り、多くのバブル紳士たちが森下を金主に頼った。「バブルの王様」と呼ぶにふさわしい。
高橋兄弟にとって森下は最後に頼った事業パートナーでもあった。アイチの元幹部が振り返る。
「治則さんの急逝を受け、さまざまな権利関係者の処理をしたのがお兄さんの治之さんでした。当時はまだ電通にいらしたけれど、亡くなったあと取引書類を治之さんに届けに行ったことを思い出します。あの兄弟はコインの表と裏のような関係で、お互いに助け合ってあそこまでになりました」
一方、森下は1970年代に山口敏夫が自民党から離れて新党の新自由クラブを結成した折、選挙資金を融通し、そこから高橋兄弟を知った。
当人はバブル経済の走りだった1980年代後半、米国のゴルフ場開発に乗り出し、ニューヨークのトランプタワーの部屋を買った。取引後、トランプの自宅でランチに招かれ、同席したのがボクシングのヘビー級チャンピオンになったばかりのマイク・タイソンだ。
奇しくも高橋兄弟もまた、タイソンと縁が深い。電通にいた兄の治之が1988年3月、東京ドームのこけら落としにタイソンを招聘し、タイトルマッチを企画。元労相の山口はそこに招待されている。
「私もリングサイドのチケットを2枚もらいました。貴重なチケットなので誰を誘うか迷っているうち行く相手が見つからず、よく頼んでいたマッサージ師を誘っていっしょに観戦したんです。あっという間に試合が終わって拍子抜けでした」
治之は続いて1990年2月、もう一度タイソンのタイトルマッチを企画し、弟の治則も手を貸した。スポンサー探しに苦しんだ兄のために5億円のスポンサー料を肩代わりしたのだ。
二度目のボクシングイベントは、タイソンがジェームス・ダグラスにノックアウトされ、東京ドームの奇跡と呼ばれた。