では、ヒロインが拒否しようとしたIMFの“援助の条件”とはいったいどんなものだったのか。それは古典・新古典派経済学の信念であり、グローバリストたちにとって都合のいい市場原理主義に則ったプログラムである。つまりは資本の徹底した自由化と民営化(公的部門から民間部門への資産移転)である。アメリカ政府やIMFは、主流派経済学が提唱する市場原理の徹底のため、自由貿易、規制緩和、資本自由化を強く推し進めていた。こうした考えはアメリカ財務省とIMF・世界銀行の所在地から「ワシントン・コンセンサス」と呼ばれた。要するに、「お前達のルールを、俺たちが介入しやすいように変更しろ」ということである。
IMFのプログラムを拒否した例も
現実として韓国はIMFのプログラムを受け入れた。しかし、この時、採用されなかったものの、ヒロインはある提案をしている。つまり、あったかもしれないもうひとつの歴史の可能性をこの映画は示唆する。それはIMFのプログラムを拒否し、「借金は返せません」と破産を宣言するというものだ。
そうすれば誰が困るのか。もちろん韓国の威信は深く傷つく。と同時に、債権者だって取りっぱぐれで窮地に至る。それでいいのかと居直る荒療治だ。しかし、歴史的事実からわかるように、この案は採用されていない。この映画はそこまで史実をねじ曲げてはいない。
しかし、似たような選択肢を取った国は実際にある。
1990年代前半、アルゼンチンは好景気に沸いていた。外国人投資家はアルゼンチンへの貸付に熱心だった。しかし、やはり1997年のアジア通貨危機のあおりを食らって財政が悪化。やってきたIMFは財政及び金融政策の引き締めを要求したほか、社会保障の民営化、水や電気などの公共設備の民営化も主張した(それだけでなく民営化の際には料金はアメリカと連動させるべきだとも)。
アルゼンチンはすでにIMFから巨額の借り入れをしていた。にもかかわらず、結果的にはアルゼンチンはIMFのプログラムを拒否した。そして、「債務不履行だと言いたいのならどうぞご随意に」と開き直ったわけである(結局、IMFはアルゼンチンの債務不履行を宣言しなかった。ジョセフ・E・スティグリッツ著『世界に格差をバラ撒いたグローバリズムを正す』参照)。
しかし、現実として韓国はIMFのプログラムを受け入れた。IMFは韓国の金融部門・企業(財閥)・労働市場・公共部門に全面的に介入し、新自由主義的な政策を推し進めた。多くの企業でリストラが行われ、10人に1人が失業者となった。『韓国社会の現在』(中公新書)を書いた春木育美氏によると、1997年11月から1998年7月にかけて雇用者数は1割弱減少、失業率は2%台から一気に7.9%に跳ね上がった。離婚も急増したそうだ。『朝鮮日報』記者の金秀恵氏(キム・スヘ)の取材によれば、当時まだ子供だったこの世代の多くが、家財道具に差し押さえの赤紙を貼られるところを目撃していたらしい。
さて、アジア通貨危機はなぜ起きたのかについて、先に僕はファンダメンタルズ論とパニック論を紹介した。ただ、可能性としてはもうひとつある。それは投資家とグローバリストとの連携プレーだ。投資家が、旧態依然とした体制の残る国や共同体に資金を投下し、適当な理由をつけて急に引き上げる。困窮した国や共同体に、ある機関が援助を申し出る。しかしその条件としてその機関の背後にある国(や勢力)に都合のいいプログラムを押しつける……。