日経平均株価の高騰が続き、業績を拡大する企業も増加し、さながら「令和バブル前夜」の様相を呈している。バブル期の1989年に記録した、日経平均株価の最高値3万8915円を超えるのも時間の問題とも囁かれており、かつてのバブル経済と今の時代の相似を指摘する声もある。だが、かつてのバブル期を「札束に踊らされた空虚な時代」と批判する声も多い。
「失われた30年」など、ネガティブな文脈で語られるバブル景気について、元大蔵官僚で嘉悦大学教授の高橋洋一氏は「誤解が多い」と指摘する。
「当時は物価がどんどん上がりインフレが続いていたと思っている人がいますが、それは誤りです。価格が上がっていたのは株や土地など一部の資産価格だけでした。バブル期のマクロ経済指標に異常は見当たりません」
実際、1987年から1990年までの実質GDP成長率は4.2~6.2%で、当時の先進国の水準としてはごく平均的だった。同期間の物価上昇率も0.1~3.1%と健全な上昇の範囲内である。
「問題だったのは、証券会社がこぞって販売した財テク向けの金融商品『営業特金』(運用を証券会社に一任する代わりに利回り保証や損失補填が付く契約)が横行し、株式市場に巨額の資金が流れ込んだこと。1989年12月26日、大蔵省は証券会社に通達を出し、『営業特金』を事実上禁止しました。通達を起案したのは当時証券局にいた私です。その結果、1989年の大納会で最高値をつけた株価は、1990年末に2万3000円ほどに一気に下がっていきました」(同前)
また不動産に対しても大蔵省は1990年3月に通達を出し、「総量規制」(銀行の不動産向け融資の伸び率を総貸出の伸び率以下に抑える措置)を導入。地価も下落していった。