家電大手・シャープが、「世界の亀山」と謳われた主力事業・大型液晶パネルから撤退する。2000年代、液晶テレビ「AQUOS(アクオス)」のヒットで大躍進したシャープだが、その盛況は長くは続かなかった。1998年に社長に就任し、液晶事業を急拡大させて同社を「3兆円企業」に押し上げた立役者でもある町田勝彦・元社長は今、何を思うのか──。【全3回の第3回 全文を読む】
右肩上がりで黒字が続いた時代
シャープは創業者・早川徳次氏によって金属加工の会社として出発した。シャープペンシルのヒットにより全国区となるが、戦後、家電事業ではソニーやパナソニックに圧倒的な差を付けられていた。
そんな同社を一時“家電業界の雄”に押し上げたのが「アクオス」だった。元社長の町田勝彦氏はアクオス誕生の立役者であり、凋落が始まった時期に鴻海との資本提携を進めた人物でもある。
町田氏は事業の立ち上げを「それはもう大変だった」と振り返る。
「当時の液晶ディスプレイは映りが悪く、ちょっとしたモニターに使う程度。技術がないところに、シャープが先頭を切って液晶のテレビ装置を作り上げた。あらゆる産業のメーカーの協力で画面がだんだん大きくなり、映像が美しくなっていった」
その過程は、苦労が大きい分、喜びにも満ちていたという。
「子供を育てるのと一緒やな。工場を建てて動き出す時は心配で胃が痛かった……。亀山の準備が整ったのは忘れもしない、クリスマス。技術者は顔を歪めて試行錯誤していた。でも、うまく動いた時は人間の顔がこうも変わるものかと思うくらい喜んでた。苦しくて、楽しい思い出です」(同前)
そこから数年は右肩上がりで黒字が続いた。
「液晶テレビで業績が大きく伸びたのはたしかですが、一番大きかったのは携帯電話。シャープが初めて製品化したカメラ付き携帯は市場を制覇しました。iPhoneが登場する2007年頃まではテレビと携帯、プラズマクラスターの3つはオンリーワンだった」(同前)