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《ラグビービジネスは黎明期》14季ぶり優勝を達成した東芝ブレイブルーパス東京・荒岡義和社長が味わったリーグワン発足時の辛酸 「ビジネスとして不確実性が多すぎる」課題も浮き彫りに

 「14季ぶり日本一」に輝いた東芝ブレイブルーパス東京の荒岡義和社長。ラグビーは未経験の“門外漢”だった(撮影:五十嵐美弥)

 「14季ぶり日本一」に輝いた東芝ブレイブルーパス東京の荒岡義和社長。ラグビーは未経験の“門外漢”だった(撮影:五十嵐美弥)

 閉幕したパリ五輪の興奮が冷めやらぬなか、2024年のスポーツシーンを振り返るにはまだ気が早いかもしれない。が、日本ラグビー史上稀に見る名勝負だった5月の「ジャパンラグビー リーグワン」2023−2024プレーオフ決勝戦は、その1ページを飾ることになるのではないか。5月26日、国立競技場。リーグ戦2位でプレーオフ決勝に進出した東芝ブレイブルーパス東京(BL東京)は同1位の埼玉パナソニックワイルドナイツとの激戦を制し、14季ぶりの日本一に輝いた。

トップリーグ時代から数えて14季ぶりの「日本一」に(写真提供:東芝ブレイブルーパス東京)

トップリーグ時代から数えて14季ぶりの「日本一」に(写真提供:東芝ブレイブルーパス東京)

 東芝ブレイブルーパス東京の劇的優勝で3季目を終えた「リーグワン」。2015W杯イングランド大会でのジャイアントキリング(南アフリカに勝利)、自国開催を成功させベスト8に進出した2019W杯日本大会を経て、進化を続ける日本ラグビーだが、その実力や人気は定着したのか。今後、ラグビーのプロ化(ビジネス化)は成功するのか。そうした問いを考えるうえでキーマンとなるのが、リーグ内でもわずかな例しかないクラブの「独立事業会社化」で誕生したラグビークラブ・東芝ブレイブルーパス東京の荒岡義和社長だ。フリーライターの池田道大氏が荒岡社長に今季優勝までの道のりとビジネス面での挑戦について話を聞いた。【前後編の前編。後編を読む

「負けることなんて全然頭になかった」

 手に汗握るシーソーゲームがついに終わりを迎えようとした時、16フェーズにわたる怒涛の連続攻撃を経て、楕円球を抱えたワイルドナイツの選手がインゴールに飛び込んだ。「逆転トライ!」──国立競技場を埋めた5万6486人の観客が総立ちになるなか、スタンドにいた熱血社長だけはいつもと違って冷静だった。

「最後まで勝つと信じていて、負けることなんて全然頭になかった。逆転トライをされてもまだワンプレーの時間が残っていたので、選手たちが最後に何かを起こしてくれると思っていました」

 そう振り返るのは、東芝ブレイブルーパス東京(BL東京)株式会社の荒岡義和社長。

 5月26日に行われたラグビー国内リーグのプレーオフファイナル。リーグ戦2位の東芝ブレイブルーパス東京が同1位の埼玉パナソニックワイルドナイツに24−20で勝利し、前身のトップリーグを含めると14季ぶりの優勝を果たした。土壇場でワイルドナイツが逆転トライを決めたかに見えたが、連続攻撃の中で際どい反則があったというTMO判定(ビデオ判定)により、トライは認められなかった。

 紙一重の勝負を制して歓喜に沸くブレイブルーパスの選手たちを荒岡社長は万感の面持ちで見つめていた。

埼玉パナソニックワイルドナイツとの決勝戦。紙一重の勝負だった(写真提供:東芝ブレイブルーパス東京)

埼玉パナソニックワイルドナイツとの決勝戦。紙一重の勝負だった(写真提供:東芝ブレイブルーパス東京)

東芝ラグビー部の新会社社長は「部下800人を率いた元営業マン」

 2022年1月に誕生したラグビーの国内最高峰リーグ「リーグワン」は、2003年から2018シーズンまで続いたトップリーグを発展的に解消して発足した。企業スポーツからの脱却をめざす新リーグの発足に際して、ラグビーの名門・東芝はラグビー部の事業運営会社「東芝ブレイブルーパス東京株式会社(以下・BL東京)」を新たに立ち上げた。

 新会社の社長に抜擢されたのが、東芝グループ内の「東芝インフラシステムズ」の中部支社の代表だった荒岡社長だ。元バレーボール選手でラグビーを生観戦したことが一度しかない荒岡社長にとっては晴天の霹靂だった。

「ほかに使い道がなかったからでしょう」と本人は謙遜するが、東芝入社後に営業畑で頭角を現し、部下800人、売上高1000億円の部門の責任者を務めるまで上り詰めた荒岡社長の経験値や交渉能力に、東芝上層部は大きな期待をかけたはずだ。

 ところが、意を決して飛び込んだラグビービジネスの世界はあまりに畑違いだった。

部下800人を率いた元営業マンがラグビービジネスの世界に飛び込んだ(撮影:五十嵐美弥)

部下800人を率いた元営業マンがラグビービジネスの世界に飛び込んだ(撮影:五十嵐美弥)

クラブが利益を得るホストゲームは「1シーズン8試合だけ」

「最初はグチャグチャでした」と荒岡社長は振り返る。

「まず驚いたのが試合数の少なさ。Jリーグは1シーズン35〜45試合、バスケットのBリーグは60試合行いますが、肉体的な負担が大きいリーグワンは16試合で、クラブが利益を得るホストゲームは半数の8試合しかなかった。これではゲームを主体にして儲けを得るビジネスモデルが成り立たないことがわかってショックでした。

 加えて各クラブが確保することをリーグから求められたスタジアムはどこも全天候型ではなく、観客数は当日の天候に左右されます。しかもリーグワンが開幕するのは真冬で、雨が降ったら1万人収容のスタジアムに2000人しか来ないこともある。いろいろな面でラグビーは不確実性が多いビジネスであることがわかりました」(荒岡社長・以下同)

 そもそもラグビーというビジネス自体がまだ「黎明期」であると荒岡社長が続ける。

「表現は適切かわからないけど、水商売的なところがあります。東芝のようなメーカーは規格やルールが定まっている製品を計画的に生産して販売しますが、ラグビービジネスは確立された王道がない。各クラブがそれぞれのやり方を模索している状況です」

10季ぶりにキャプテンに復帰したリーチ マイケル(写真提供:東芝ブレイブルーパス東京)

10季ぶりにキャプテンに復帰したリーチ マイケル(写真提供:東芝ブレイブルーパス東京)

ラグビー部の事業会社化以前は東芝の経営危機とともに成績が低迷

 1948年に東芝府中事業所のラグビー部として創部されたクラブはトップリーグ優勝5回、日本選手権大会優勝3回を成し遂げたが、親会社である東芝の会計不祥事や経営危機とともにここ10年ほど成績が落ち込み、荒岡社長が就任する直前のリーグは9位と低迷した。

 新社長が衝撃を受けたのは、新たな旅立ちとなるリーグワンの開幕を控えて意気込みを語る選手の口から「優勝する」という言葉が一度も発せられなかったことだという。

 畑違いのビジネスに徒手空拳で挑んだリーグワン初年度。BL東京は6季ぶりのプレーオフ準決勝に進んだが、同じ府中に本拠地を置くライバルの東京サントリーサンゴリアスと花園ラグビー場(大阪府)で戦い、敗れた。

「サンゴリアスは不格好でも何としてでも勝ちに行く姿勢でしたが、ブレイブルーパスは準決勝に進んだことでどこか満足しているようにも見えました。常に優勝を狙ってきたチームとそうじゃなかったチームの差がはっきり見えました」

 東京に帰る新幹線の車内、荒岡社長は「トップの自分が、本気でリーグワンのトップをめざしていなかったのではないか」との思いが込み上げ、涙があふれてとまらなかった。

 ほろ苦さとともに終えたリーグ初年度はコロナ禍で集客に苦戦し、実質的に3300万円の赤字となった。常に結果を出してきた荒岡社長にとっては耐え難い失態でもあった。

 BL東京は、そこからいかにして、14季ぶりの優勝に向かっていったのか。後編記事では「ビジネスでもリーグのトップになる」と誓った荒岡社長の逆襲をリポートする。

後編につづく

【プロフィール】
荒岡義和(あらおか・よしかず)/1965年、新潟県生まれ。東芝入社後、主に社会インフラ事業の営業畑を歩む。2021年4月、東芝インフラシステムズ中部支社長より、東芝ラグビー新リーグ参入準備室に室長として異動。同8月より東芝ブレイブルーパス東京株式会社代表取締役社長。

取材・文/池田道大(フリーライター)

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