かつて“日の丸家電”の代表格だった日立製作所は、柔軟かつ大胆に新規事業に取り組み、いまや従来のイメージとは異なるグローバルな企業に変貌を遂げている。転換を経て成長曲線を描くように見える日立の姿を、元社員はどう見ているのか。
2003年まで日立で半導体部門に従事したジャーナリストで技術経営コンサルタントの湯之上隆氏は「私がいた頃は硬直した組織だった」と明かす。
「各社員のプライドもあって縦割りの弊害が大きく、中央研究所、デバイス開発センター、事業部の三つがあった半導体セクションは、競争はしても協力することは一切なかった。それが今や横串を通した組織としてルマーダ(DX支援事業)に取り組んでいる。よくぞここまで変われたなと思います」
1973年に日立に入社し、日立インダストリアルプロダクツ・モノづくり統括本部部長などを務めた後、2022年に70歳を迎えるまで雇用延長で働いた福富昇氏(72)は「会社員人生の終盤は、なかにいても『組織の姿をよく変えるなぁ』と驚いていたほどです」と振り返る。
退社後は中小企業などのコンサルティングに携わる福富氏だが、2008年のリーマンショックで大赤字に転落した直後は、まだ社内の危機感は薄かったと述懐する。
「どこかで『他部署や子会社が何とかしてくれる』という妙な安心感が蔓延していたと思います。その時点ではまだ、やることも判断もとにかく遅い会社だった」