未知のウイルスは、日本経済を支える大企業をも弱らせている。1000社を超える上場企業が業績予想を下方修正する中、誰が経営を舵取りしても無理──そう結論づけるのは早計だ。昭和時代の日本企業はオイルショックやプラザ合意(円高不況)、バブル崩壊といった難局に直面したが、それぞれが試練を乗り越えてさらなる成長を遂げてきた。
そうした昭和の経営者たちが現在の「窮地の有名企業」を任されたとしたら、どんな打開策を巡らすだろうか。ここでは、作家の江上剛氏が、「もし日産の社長が本田宗一郎氏だったらどうするか」を考えてみた。
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本田技研工業の創業者である本田宗一郎氏は、言うまでもなくモノづくりの神様みたいな人。それも怖い神様ではなく、非常に楽しいキャラクターで、会社が利益を出すことより、自分が作りたいモノ、楽しくなるモノ、周りの人が喜ぶモノを作ろうとしてきた人である。
かたやカルロス・ゴーン氏は“コストカッター”の異名をもち、経営危機にあった日産をリストラで立て直し、いくつもの中期経営計画を立て、販売規模や利益の拡大について目標数字を掲げ、その達成を目的とする“コミットメント経営”を行なってきた。
ゴーン氏による経営再建は成功したが、彼が“日産の天皇”のように振る舞い始めたので、日産の側から反発が起きた。しかし、脱ゴーンには成功したものの、自らの経営状態があまりに無残で、当惑している状態にある。2021年3月期に最終赤字は6700億円に達する見込みだ。
そもそも日産の歴史を振り返ってみれば、社内政治と内紛の繰り返しである。かつては労組に牛耳られ、長年の間、経営側と組合の間でゴタゴタが続いていた。
こうした事態が起きるのは、日産の官僚体質に原因がある。上からの指示には黙って従い、リスクをおかさず、責任も取らない。だから、ゴーン氏のようなカリスマ性のある経営者には従うが、気に食わなくなると梯子を外す。