日経平均株価が約30年ぶりに3万円の大台を回復し、その後は乱高下を続けている。振り返れば、日経平均が史上最高値「3万8915円」を付けたのは1989年の12月のこと。3万円台はそこから1990年の8月まで続いた。
「当時と比べたら、今の世の中は非常に冷静です」。マーケットアナリストの平野憲一氏(ケイ・アセット代表)はそう指摘する。
同じ株価3万円でも、30年前と現在の違いは「国民の熱狂ぶり」だ。
1988年に大阪証券取引所で日経平均先物取引が、同じく東京証券取引所でTOPIX(東証株価指数)先物取引が開始されると、全国的な投資ブームが起きた。
「あの頃は企業の業績も良かったですし、誰もが株や土地にお金をつぎ込んでいました。企業の経理担当者は『財テク(財務テクノロジー)』をしなければ怠慢だ、とばかりに運用していた」(平野氏)
経済アナリストの森永卓郎氏もこう言う。
「バブル期には日本中の企業が投機に手を出していた。異常な高値を正当化するような指標が次々と作り出され、『まだまだ割安。日経平均は8万円まで行くぞ』なんて平気で言っていました」
市中にはカネが溢れ、夜の街も大いに賑わった。コロナ禍により20時までの時短営業を余儀なくされ、廃業する飲食店も多い今の歓楽街とは対照的な光景があった。
1970年に立花証券に入社、バブル期は金融法人営業部で銀行を担当していた平野氏は、毎晩のように銀座で接待に明け暮れていたと話す。
「銀行マン相手に、夜な夜な高級料亭から高級クラブをはしごしたものです。一晩にウン十万円と使い、会社に接待費として請求するのに頭を悩ませた。ところが接待翌日に会社に行くと、机の上にはその相手から数百万円分の注文のFAXがバーっと届いていた。他社でも銀座で一晩に400万円使った伝説の証券マンがいたり、入社したばかりの女性社員のボーナスが父親より良かったなんて話もザラでした」