Aさんが大学入学後、両親は満を持して離婚。Aさんが一連の離婚劇をいまあらためて振り返るに、親からの離婚の意思の伝えられ方は「難しい問題」だという。
「今思うと、親の不仲を感じ、『もしかして離婚するかも……』と思う時期と思春期が重なるのはつらかったです。家に帰ったらケンカしかしていないし、家のものが散乱するのも日常茶飯事……。僕の場合、3年くらいその状態で、親から離婚の『り』の字も出ず、不仲な期間だけが長く続いていました。
その後、『離婚する計画がある』といった表現で事前になんとなく伝えてもらった後の方が楽でした。『離婚するんだ』と開き直れるので」(Aさん)
60代の母親と2人で暮らす“子供部屋おじさん”に
熟年離婚の影響が及ぶのは、子供の進路選択だけではない。30代男性・Bさん(メーカー勤務)は、両親がなんの前ぶれもなく、いきなり離婚したことに驚いた。
「僕が社会人になってから、両親が熟年離婚しました。それまでとくべつ仲が悪いように見えなかったので、驚きました。ある日、母から電話がかかってきたと思ったら、『“解散”したから』という離婚の事後報告でした。
母曰く、『お父さんとは金銭感覚が合わないことは早々にわかっていた。いずれ離婚しようと思っていたものの、あなたが成人するまでは我慢しようと思った』と。“我慢”という言葉を使われると複雑な気持ちになります……」(Bさん)
ただ、この離婚によって、とばっちりを受けたのは一人っ子のBさんだ。経済力のない60代の母親と暮らすことを余儀なくされ、ライフスタイルに大きな影響を受けた。
「母親に『一人だと不安だから』と言われて、一緒に暮らすことを要求されました。だったら離婚するなよっていう話で、僕を巻き込まないでほしかったのですが、見放すこともできず、仕方なく実家で“子供部屋おじさん”をやっています。結婚も視野にいれていた彼女は、“母親との同居必須”を察したのか、去っていきました。経済的な余裕がないなら、最後まで離婚しないでほしかったというのが本音です」(Bさん)