脳の機能的な問題のせいで、日常生活や学業、就業上に弊害がみられる状態を指す「発達障害」。ADHD(注意欠如・多動性障害)、ASD(自閉スペクトラム症)、LD(学習障害)などを総称するものだ。自分が感じていた生きづらさは、努力不足のせいでも、性格が悪いせいでもなく、「発達障害」が原因だった──。そう診断されて、人生が開ける人も少なくない。
迷惑をかけるのは“努力不足”のせいだと自分を責め続けてきた3人の当事者の女性たちに、“これまで”と“これから”について語り合ってもらった。
東京都新宿区。ここに、発達障害者が交流するための「Neccoカフェ」がある。運営するのは、50才のときに高機能広汎性発達障害(現在はASDに分類)と診断された金子磨矢子さんだ。
今回はここに、カフェの常連である、発達障害当事者協会事務局長・嘉津山具子さんと福祉施設職員・菊地栞さんにも集まってもらった。皆、大人になってから発達障害と診断され、障害者手帳を得たことで人生が大きく変わったという。まずは、「もしかして」と気づいたきっかけをうかがった。
『片づけられない女たち』それが私だった
嘉津山具子(ともこ)さん(以下、嘉):13年前、私が40才のときです。ADHD(注意欠如・多動性障害)について書かれ、全米でベストセラーになったサリ・ソルデンの『片づけられない女たち』を読んで、これは自分のことだと感じました。実は、この本が発売された2000年に存在を知っていたのですが、そのときはまだ自分もそうだと認めたくなかった。でもそれから10年経ち、「これはおまえのことじゃないか」と親から言われたことを思い出し、病院に行きました。
菊地栞(しおり)さん(以下、菊):私も23才のとき、発達障害を扱った本を読んだのがきっかけで、もしかして……と。当時、散らかった部屋に住んでいたんです。それで、ADHDとASDだと診断されました。
金子磨矢子さん(以下、金):私は1997年に出版された『のび太・ジャイアン症候群─いじめっ子、いじめられっ子は同じ心の病が原因だった』(司馬理英子著・日本にADHDを初めて紹介した本)を読んだのがきっかけでした。「これは私のことだ」と思いましたが、このときはそのままにしていました。
第2子が11才のときアスペルガー症候群(現在のASD)と診断されたのを機に、自分も検査を受け、「高機能広汎性発達障害」と言われました。私にとって診断は、“あなたは普通じゃない”とお墨付きを得ること。いままで普通にできなかったのは努力不足ではなく、生まれつきだったとわかり、すごく楽になったんですよね。
嘉・菊:私もです!
菊:これまで、“普通”のことができなくて、本当につらかった。小学生の頃は、忘れ物が多くていつも怒られていました。気をつけていてもだめで、甘えだと言われました。学校でいじめられ、親に相談しても、「言っていいことと悪いことがわからないの?」「あなたに原因がある」などと言われ、自分を責める日々でした。