「遺言書に綴られた父からの思いがけない感謝の言葉」に、「自分を疎んじていたと思っていた祖母の家の奥から出てきた日記に書かれていた“孫がかわいくて”の一文」に、「夫の葬儀で男泣きしていた大学の同期の姿」に、私の知らなかった“あの人”の姿がよみがえってくる──「死後の手続き」は故人との最後の対話なのかもしれない。
そんな「死後の手続き」のなかで、避けて通れないのが遺品整理。相続・終活コンサルタントの明石久美さんは「遺品の片付けにおいて最も多い後悔は“捨てすぎてしまったこと”です」と語る。
「大切な人を失って動揺したまま整理を始めると“見るのもつらい”という心境から遺品をきちんと確認せず、アルバムや手紙も含めてすべて捨ててしまったり、業者にすべて処分してほしいと頼んでしまい、後になって“大切な思い出の品だったから捨てなければよかった”と涙するケースは格段に多い。その場の勢いで遺品を片付けるのは避けた方がいい」
メモの裏に母の字で書かれた「感無量」に涙した
取っておける場所があるならば、向き合うことができる心境になるまでそのままにしておくのもひとつの手だろう。12年前に末期の胃がんで亡くなった母との経験をエッセイ漫画『母を亡くした時、僕は遺骨を食べたいと思った。』で描いた漫画家の宮川サトシさんは、いまも母の遺品の多くを実家に置いたままにしていると話す。
「3人いる兄弟のうち、当時ぼくは実家の近くに住んでいたし、母とは昔から仲がよかったからいちばん長く一緒に過ごしたんです。母の言葉を借りると、“上2人は男臭いけど、あんただけは娘みたいだ”と言っていて(笑い)。その言葉の真意はよくわからないのですが、関係がすごくよかったことは事実です。だからその分、喪失感も大きくて。
とはいえ12年も経ったいまは『母の声をもう一度聞いてみたい』とふと思うくらいさらりとした気持ちでいるのですが、実家のたんすに整理された洋服や私物などの母の遺品は、いまも“地雷”。遺品と対面すると“あの頃は幸せだったな”という感覚に引っ張られそうだから、いまも整理していません」(宮川さん)
癒えたはずの傷がうずくような気持ちになる一方で、母の遺品に救われた面もある。
「闘病している母のために『正』の字をメモ書きで残しながらお百度参りして、それを渡したことがあったんです。母の遺品の財布からそれがきれいにパウチされたものが出てきて、メモの裏には母の手書きで『感無量』と記されていて。ぼくの胸もいっぱいになりました。この遺品は相続した財産よりどんな“形見分け”よりもぼくにとっての宝物になっています」(宮川さん)