お金、健康、孤独……何かと不安が多い老後生活。当のシニアはどう感じているのだろうか。現在66才で前期高齢者となった『女性セブン』の名物ライター“オバ記者”こと野原広子さんが、これからの高齢者の生き方・働き方について考える。
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それにしても両親を見送った2年目の正月がこれほど空っぽになるとは思わなかった。
独身だから夫も子供もいない。数年前に亡くなったから愛猫もいない、ついでに定職もない。お正月に帰る実家もない66才ってどんだけ寂しいの?──と自分に聞いてみると、そりゃあ、寂しいわよ。「さびしいぃぃい!!」と腹の底から叫びたくなるほど寂しいわよ。
と同時に、大きな声で言っていいのかどうかためらうけれど、これまで味わったことがないくらいの解放感に満たされているのもまたホントなんだよね。だって、親がいないということは、人生の一大イベントどころか、人としてどうよ、ということまで問われる「親の死に目にあう・あわない問題」がないんだよ。
私の場合、義父の臨終にはすんでのところで間に合わなかったけど、まぁ、そこは義理の関係。「あら~」くらいの気持ちよ。血を分けた母親の方は、共倒れ寸前まで枕を並べてシモの世話付き介護をしたから、病院側の配慮で、コロナ禍でも亡くなる前日に会わせてもらって、それで決着がついている。私としてはそれぞれ納得した看取りだったわけ。
で、話はここからなんだけどね。親を見送ったら、たいがいのことはどうでもよくなってきたの。私のような「ドラ娘」(母親談)でも、盆暮れ正月、なんならお彼岸にも帰省した。どこかで親の顔色をうかがっていたんだな、ということが、親が亡くなったいま、わかるんだわ。それがなくなったらもの寂しいのは当たり前よ。
じゃあ、どうするか。若いときは「寂しい」をごまかそうとして恋愛したり、人に振り回されたり、陰口を言いながら心の通わない女友達とつるんだりしたけど、その手をもう一度使うか? いやいや、ムリですって。てか、家族とか彼氏とか親友とか、いる? というのが正直なところよ。ご飯を食べて、一緒に笑ったり怒ったりする人はいた方がいいけど、それで充分。面倒な人間関係で煩わされている時間はもったいないような気がするの。それより、自分の器量にあった働きをしてお金を得て気ままに暮らす。これ以上の幸せってあるかしらと思うのよ。