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大型液晶パネルから撤退、「液晶のシャープ」はどこで道を誤ったのか 元社長・町田勝彦氏が振り返る「致命的だった」こと【独自インタビュー】

かつて液晶事業はシャープの代名詞だった(2015年撮影。EPA=時事)

かつて液晶事業はシャープの代名詞だった(2015年撮影。EPA=時事)

 テレビ向けの大型液晶パネルからの撤退を発表したシャープ。子会社である堺ディスプレイ(SDP)が運営する堺工場(大阪府)は、9月末までに生産を中止するという。かつては「液晶のシャープ」と称されるなど、液晶事業は同社の代名詞だったが、どこで道を誤ってしまったのか。1998~2007年に同社社長を務め、亀山工場立ち上げなど一時の栄光時代を築き上げた町田勝彦氏(80)に話を聞いた。

「テレビを追いかけてもしょうがない」

 京都市内の閑静な住宅街の一角に、その家はあった。1998~2007年にシャープ社長を務め「液晶帝国」を築き上げた町田勝彦氏(80歳)の自宅だ。今回の液晶事業縮小に関して詳細を聞こうと取材を申し込んだところ、町田氏の自宅で話を聞けることになった。

 インターフォンを押して少し外で待った後、広々としたリビングのソファに通されると、襟付きのリラックスウェアを着た町田氏が現れた。液晶テレビパネルからの撤退について聞くと、町田氏は時折関西弁を交えながら「そりゃあ時代の流れだからね」と語り始めた――。

 シャープは2012年、堺工場の運営会社の株式を台湾の鴻海精密工業に譲渡し、共同出資に切り替えた。その後、シャープ本体は2016年に鴻海に買収され、子会社となった。堺工場の株式は2019年までにサモアの投資会社に移っていたが、シャープは2022年、約400億円で堺工場を買い戻した。町田氏は、この時の「堺工場買い戻し」が赤字拡大の大きな原因になったと見ている。

「なぜそんなことになったのか。ニュースで知った時はびっくりしました。売却して黒字化の目処が付いていたのに、それを買い戻してしまった。これが致命的だったと思います」(以下「」内は町田氏)

 中小型の液晶パネル製造は別の工場で続くものの、テレビ向けからの撤退により「液晶のシャープ」の看板を降ろすようなかたちとなったことへの名残惜しさは、口にしなかった。

「社長をしていた2000年頃から『液晶が続くのは2010年ぐらいまで』とよく言っていたんです。電機産業というのはどんどん技術革新が起き、10年サイクルで変わっていく。同じものをずっと作っていれば良いなんてことは決してない。だからノスタルジーなんてありません。この業界の人間であれば『次は何を作ろうか』と考えるはずでしょう。今の人たちはテレビ見ませんよ、若い人は特にそうでしょう。そんな時代にテレビを追いかけてもしょうがないような気がします」

 液晶へのこだわりは、シャープよりむしろ親会社の鴻海のほうが強かったようだ。

「堺工場を買い戻した時点では、シャープの社員はもう液晶は過去の技術だと気づいていたと思います。むしろ、鴻海側の経営者たちがまだまだ液晶への期待があったのではないか」

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