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「意見をうかがいたい」と言われて意見を言ってしまったオバ記者の反省 「会話とは“やりとり”だけじゃない」の気づき

話の途切れたところで、精いっぱいやんわりと聞いてみたら…

 私は会話というのは“やりとり”だと長い間思ってきたけど、それだけじゃないんだよね。

 つい先日、SNSで知り合った人から「ぜひ野原さんの意見をうかがいたいので会ってほしい」と個人メールが来たの。どうしようか迷ったのよ。でもほとんど縁のない私にこういうメールを送るということは、それなりに考えがあってのことだろうなと思ったので、会うことにしたの。

 40代後半のY子さんの話は、いろんな職場を転々としてきたけど、どこでも人間関係でつまずいて長続きしない。これからどうしたらいいか、ということだったの。英語を使いこなすし事務能力も高いから就職先には不自由しない。ところが、月日が経つうちに職場で浮いてしまうんだそう。「私はこうするのが正しいと思ってしていると、上司から激怒されるんです」と。その具体的な事例をいくつか聞いているうちにわかったんだわ。Y子さんは言葉のキャッチボールをしないで、ジャグリングをしていたんだよね。「自分は間違ったことはしていません。正しいことをしています。だから周囲の人も私のようにすべきじゃないですか」と唇を尖らせるの。

 なので、話の途切れたところで、「もしさ、入社して間もない新人に自分がそう言われたらどう思う?」と精いっぱいやんわりと聞いてみたの。そのときの彼女の顔と言ったらない。「え? え? 私は? 私だったら?」と言うと、ムスッと黙り込んでしまった。

 もぅ、バカバカバカと自分の頭を叩きたくなったわよ。彼女は私の意見を聞きたいと言ったけれどそれは言葉のアヤで、ただ私に話を聞いてほしかっただけだったんだよね。

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