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【100周年】「阪神甲子園球場」誕生秘話 わずか4か月半で完成した東洋一の球場、スキージャンプや野外歌舞伎も開催、戦時中には大銀傘接収も

“野球の聖地”阪神甲子園球場はいかにして誕生したのか(撮影/杉原照夫)

“野球の聖地”阪神甲子園球場はいかにして誕生したのか(撮影/杉原照夫)

 8月1日に100周年を迎える阪神甲子園球場(以下、甲子園)。阪神タイガースの本拠地にして、「高校野球の聖地」とも呼ばれる甲子園は、いかにして生まれたのか。聖地誕生の経緯を紐解く──。

わずか4か月半という短期間で完成

「当時、甲子園は国民待望の一大プロジェクトだったと思います」。そう語るのは、甲子園歴史館広報の安部早依理さんだ。

「もともと甲子園があった場所は、川が流れ、木が生い茂り、人があまり近寄らないところでした。

 過去に氾濫を繰り返した武庫川の改修計画に伴い、支流であった枝川と申川(さるがわ)の河川敷の土地を、1922年に阪神電鉄が住宅地とレクリエーション施設用地として兵庫県から買い取ったのが始まりです」(安部さん・以下同)

 ちょうどその頃、全国中等学校優勝野球大会が始まり、国民の野球熱も高まって、会場となっていた鳴尾球場はグラウンドに観客があふれ、試合が中断するようになっていた。

「この事態を重く見た同大会主催の大阪朝日新聞からの提案に加え、『日本にもっと大きな野球場がほしい』という声が高まっていたこともあり、当時の阪神電鉄社長・三崎省三は、収容人数5万人という東洋一の規模の球場を建設する決断をしました」

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