8月1日に100周年を迎える阪神甲子園球場(以下、甲子園)。阪神タイガースの本拠地にして、「高校野球の聖地」とも呼ばれる甲子園は、いかにして人々に愛されるようになったのか、100年の間にどんなエピソードがあったのか。
土を持ち帰った第1号は川上哲治さん説も
高校野球で印象的なシーンといえば、選手たちが試合後にグラウンドの土を持ち帰る姿だ。その第1号は、プロ野球の読売ジャイアンツで活躍し、1937年に全国中等学校優勝野球大会に出場した川上哲治さんといわれている(諸説あり)。
しかし「出場選手全員が土を持ち帰るわけではない」と、PL学園時代、投手として甲子園で活躍した経験を持つフリーアナウンサーの上重聡さん(44才)は言う。
「土は最後の記念に持ち帰るもので、甲子園常連校にとって、土を持ち帰ることは、もうここには戻ってこない、という意味。だから1、2年生は土を持ち帰りません。私は3年生のとき、持ち帰ろうとしたのですが、最後の試合が延長17回まで続いたため、『次の試合があるから早くグラウンドを出るように』と促され、土は持ち帰れませんでした」(上重さん)
名物の「甲子園カレー」も100才
甲子園には“名物グルメ”があるのをご存じだろうか? それは、「甲子園カレー」「甲子園やきそば」「ジャンボ焼き鳥」。
なかでも人気の高い甲子園カレーの歴史は古く、球場が誕生した当時からあったという。甲子園歴史館広報の安部早依理さんが語る。
「100年前の値段は、コーヒー付きで30銭でした。これは当時のグラウンドキーパーの日給の約半分の値段で、高級メニューでした。昭和初期には1日1万食が売れ、調理が追いつかなかったこともあり、従業員はひと鍋300人分を1日3回作るなど、奮闘したそうです。戦時中、牛肉が手に入らないときは、貝柱やイルカの肉を使って存続させていました」
現在は15種類以上の秘伝のスパイスをブレンドした旨みとコクのあるカレーで、甲子園名物として観客の胃袋を満たしている。