そう語る渡辺さんが思い起こすのは、1998年夏の大会準決勝の横浜(神奈川)対明徳義塾(高知)戦だ。6対4でリードされた9回表のマウンドには前日の対PL学園(大阪)との準々決勝で延長17回、250球を投げぬいた横浜高校の松坂大輔がいた。
「準決勝では登板しないと思われていた松坂くんが試合終盤にテーピングを取ったとき、“松坂が投げるんだ”と球場全体がどよめいた。そのときの球場が揺れる感覚はテレビでは伝わらなかったはず。独特の体感でした」(渡辺さん)
渡辺さんの長男は横浜高校卒業後、明治大学を経て楽天入りしたが、プロになれる選手はほんの一握り。大学に進学して野球を続けるケースも多くなく、“本気”でプレーするのは高校最後の大会までにして、あとは趣味として野球を楽しむ選手がほとんどだ。
しかし、彼らはこれまで白球を追い続けた十数年間とのけじめをいろいろな形でつけている。最後までレギュラーになれなかった石川さんの長男は地区予選最後の大会前、江戸川区球技場のグラウンドに飛び出した。
「多くの高校で、夏の予選前にベンチ外のメンバーが公式戦用のユニフォームを着て試合をする日があります。うちの子もライトで出場して思い切ってプレーして、ああ、ここで吹っ切れたんだなとジーンときました。
三男が通った公立高校のグラウンドにも思い出が詰まっていて、いまでも行くと胸がキュンと高鳴ります」(石川さん)
今夏も球児の息詰まる戦いが繰り広げられる。そこでもう1つの熱い戦いに挑んでいるのが母たちだ。渡辺さんが言う。
「とにかく、必死で頑張っている息子と仲間を応援したいその一心だけ。アルプス席にいながら、テレビの前にいながら、暑い夏も夜明けの薄暗い日も、わが子とグラウンドにいた日々を思い出しながら祈っているはずです」
甲子園の栄冠は優勝チームだけでなく、すべての高校球児とアルプス席の母たちにも輝く。
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※女性セブン2024年9月5日号