「正月」をずっと気に懸けていた祖父への思い
「私は今、39歳です。もともとは大学を出た後、サラリーマンとして普通に就職することを考えていました。父親が元気なうちは神社の運営は任せて、将来的に父が働けなくなったら、跡継ぎとして神事に携わるつもりでした。和布刈神社のような規模だと、それがオーソドックスな人生設計でもあります」(高瀨氏)
しかし、高瀨氏は2009年の大学卒業と同時に和布刈神社に戻って神職となる道を選んだ。理由はいくつかあったというが、高齢ながら神社のことを心配する祖父の姿を見て「実家を何とか盛り上げたい」との気持ちが固まったという。
「三十代目の宮司であった祖父は2011年に亡くなりましたが、晩年は認知症を患っていました。私の姿を見ても孫だと分からない。どうやら私のことを自分の息子だと思っていたようです。そうした状態でも、神社のことを心配していました。『和布刈神社のことを頼むぞ』と言い残して亡くなった祖父は、最後の最後まで、『今年の正月はどうだ』と気に懸けていた。和布刈神社にとって正月の収入はそれほどまでに重要事でした。今考えると、正月頼りから脱することは、僕に課された使命だったのかもしれません」(高瀨氏)
正月以外はあまりやることがない和布刈神社での生活に、はじめは気持ちがくさることもあった。
「境内を掃除するくらいしかやることがないんです。でも、神社を次の世代にまで存続させるには、このままでいいはずがない。とにかくまずは毎日の昼食を抜いて浮かせた300円を貯金することから始めました」(高瀨氏)