「上場子会社ゼロ」の改革断行
現在の明暗を分けたのは、ファミリーにおける両社の立場だ。電力ファミリーの長兄は東芝で日立は次男坊。電電ファミリーではNECが長兄、東芝が次男、日立は三男坊という位置付けだった。東京から離れた日立は、霞が関や永田町の影響も受けにくく、「公家」と呼ばれた東芝に対し「野武士集団」と呼ばれた。
因果関係はあまり知られていないが、日立が二つのファミリーから距離を置くきっかけになった事件がある。2006年6月に発生した中部電力・浜岡原子力発電所(静岡県御前崎市)5号機で起きたタービン破損事故である。
日立が設計したタービンの羽根が大量に損傷していた。同じ原因と見られる事故が北陸電力志賀原発でも発生し、日立は両原発の補修費用300億円を、2007年3月期に特別損失として計上した。
しかし、ことはそれで終わらない。2008年9月、中部電力が東京地裁に対し「タービン動翼の破損により、火力機による振替発電などで損害が発生した」として418億円の損害賠償を求める訴えを起こしたのだ。
電力ファミリーに属するメーカーは、電力会社の求める仕様に従って機器を作る。改良を加えるにしても、電力会社の了解を得ずに進めることはない。さらに言えば、原発事業は国と電力会社が推し進める「国策」であり、「万が一」が起きた時に責任を負うのは「国と電力会社だ」とメーカーは思い込んでいた。
それだけに「電力会社に訴えられる」というのは青天の霹靂だった。国と電力会社とメーカー。原子力ムラの信頼関係に亀裂が入った瞬間である。当時、日立の社長だった古川一夫氏は「ぐるぐる回るものが全部タービンに見える」ノイローゼ状態に陥ったと語っている。
2009年3月期の連結決算はリーマンショックの影響もあって最終損益が7873億円の赤字になる。創業以来最大の危機に陥った日立は、本社の役員を退任して子会社の会長、社長になっていた川村隆氏、中西宏明氏、八丁地隆氏を呼び戻し、川村氏が社長、中西氏と八丁地氏が副社長の布陣で大改革を推し進めた。
かつての日立はあらゆる事業に手を出しており、ピーク時には上場子会社が20以上あった。だが親会社から役員が天下る上場子会社は、親会社への配慮から他の株主の利益に反する選択をする恐れがあるため、川村氏の社長時代に「ガバナンス上好ましくない」と判断。「選択と集中」で売却や吸収合併を繰り返し、現在はゼロだ。
一方の東芝は上場廃止になったが、持分法適用会社のキオクシアは近く上場を計画するなど、資本政策もチグハグだ。