ロレックスやパテックフィリップといった伝統的な高級時計が所有者の財力や社会的地位を誇示するものであるのに対して、アップルウォッチは「高級時計に興味がない」という洗練された一貫性を持つ自己像を表現するためのツールとして機能している。
この点で、従来の高級腕時計市場における終わりなきマウント競争から解放されたいと願う一部の消費者にとって、優越感ではなく「マウント回避」の象徴としての役割を果たしている。この新しい価値提案が、スマートウォッチ以上の存在たらしめているのだ。
製品を所有することで得られる特別な満足感
アップルの戦略の根底には、創業者スティーブ・ジョブズの哲学が深く息づいている。ジョブズは「デザインの天才」として知られるが、その卓越性は美しいプロダクトを生み出すことにとどまらない。彼の真の才能は「所有すること自体を特別な体験へと変える仕組み」をデザインする能力にあった。
同社の製品は、機能的なツールとしてだけではなく、ユーザーが「自分の価値を再認識し、他者との差別化を図る」という体験を提供するためのプラットフォームとして機能している。その結果、アップルはプロダクトを通じて消費者の深層心理に深く響くMXを確立し、技術革新を凌駕した本質的な価値を創造しているのだ。
製品を所有することで得られる特別な満足感──これこそが、唯一無二のブランドへと押し上げた真の原動力である。その背後には、スティーブ・ジョブズが遺した「他者とは異なる自分を演出する」という哲学が脈々と息づいている。
ガジェットを提供するのではなく、「所有することそのものに価値を宿す」プロダクトを創り出している。この独自の価値観こそが、優れた企業を超えた文化的象徴として異彩を放つ最大の理由なのである。
消費者に対して「自分は特別な存在だ」と実感させる力そのものをアップルは提供している。この特別な体験を提供し続ける限り、未来においても他に類を見ないブランドとして、その地位を揺るぎないものにし続けるだろう。
※勝木健太・著『「マウント消費」の経済学』(小学館新書)より一部抜粋・再構成
【プロフィール】
勝木健太(かつき・けんた)/1986年生まれ。幼少期7年間をシンガポールで過ごす。京都大学工学部電気電子工学科を卒業後、新卒で三菱UFJ銀行に入行。4年間の勤務後、PwCコンサルティングおよび監査法人トーマツを経て、経営コンサルタントとして独立。約1年間にわたって国内大手消費財メーカー向けに新規事業・デジタルマーケティング関連プロジェクトに参画した後、2019年6月に株式会社And Technologiesを創業。2021年12月に株式会社みらいワークス(東証グロース:6563)に会社売却(M&A)し、執行役員・リード獲得DX事業部 部長に就任。2年間の任期満了後、退任。執筆協力実績として『未来市場 2019-2028』(日経BP社)『ブロックチェーン・レボリューション』(ダイヤモンド社)、企画・プロデュース実績として『人生が整うマウンティング大全』(技術評論社)がある。