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あぶない中国共産党

【中国「改革開放」の舞台裏】鄧小平という“とんでもない策士”に日本もアメリカもまんまと騙された! 手柄を横取りされた「毛沢東の後継者」と「習近平の父」

鄧小平とはどのような人物だったのか(AFP=時事)

鄧小平とはどのような人物だったのか(AFP=時事)

 中国「改革開放」政策の実行者といえば、毛沢東に続いて最高指導者の地位に上り詰めた鄧小平の顔と名前を思い浮かべる人は多いだろう。しかし、その裏側で中国共産党指導部の権力闘争があったという。鄧小平が追い落とした一人こそ、習近平・現国家主席の父、習仲勲だった(共著『あぶない中国共産党』より一部抜粋、再構成)。【シリーズの第22回。文中一部敬称略】

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峯村:毛沢東の「遺言」をもとに権力を握り、文化大革命を終わらせたのが華国鋒です。さらに彼について忘れてはいけないのが、習近平の父、習仲勲との深い関係です。

 習仲勲は文革で失脚させられ、16年間にわたり、投獄・軟禁生活を余儀なくされていました。高官の中では最後まで解放されなかった一人です。もし華国鋒が文革を終わらせていなかったら、習仲勲は釈放されずに獄死していたかもしれません。

 2008年の華国鋒の死後、北京市内にある居宅を訪れたことがあります。広大な敷地に豪華な四合院づくりの邸宅で、失脚後も一定の力をもっていたことがうかがえます。近所の人によると、習近平の母、斉心がしばしば訪問していたそうで、両家の結びつきの強さを示す証左と言えます。

 その華国鋒を追いやって最高指導者になったのが、鄧小平です。

 文革で失脚していた鄧小平はのちに復活すると、1978年にまず日本、そして1979年にアメリカを訪問し、「国際社会に協調します」「改革開放をやります」というメッセージを出し、ソフトなイメージを演出しました。日本の政府や企業はまんまとそれに乗り、「鄧小平は素晴らしい」「これで中国は変わる」と言って、政府の円借款や、民間企業も含めてどんどん中国を支援しました。

 アメリカも一緒です。鄧小平がカウボーイハットを被るその姿に、エズラ・ヴォーゲル氏(社会学者)も「これは斬新な指導者が現われた」と思われたと言いますし、「鄧小平こそが世界を変える」と、多くの知識人が好意的に受け止めました。

 しかし、私はハーバード大学に在籍していた時に、ヴォーゲル氏としばしば議論しましたが、鄧小平を過大評価していると感じることがありました。

 鄧小平は国際社会にソフトなイメージをアピールするいっぽう、1979年にはベトナムに侵攻しています。表向きは、中国の友好国だったカンボジアに侵攻したベトナムへの「懲罰」が理由でした。

 しかし、当時の資料などを読み解くと、人民解放軍総参謀長だった鄧小平が、「戦争を発動できる」ということを誇示することで、軍事委員会主席だった華国鋒を追い落とすことが最大の狙いでした。

 鄧小平というとんでもない策士に華国鋒が打倒され、日本もアメリカもまんまと騙されて改革開放に乗った。そういう流れが真相ではないでしょうか。

次のページ:鄧小平が習仲勲と華国鋒から横取りしたもの

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