北京のマクドナルド初日は店内も大行列だった(Getty Images)
北京マクドナルドの熱気
橋爪:改革開放を始めたばかりの1980年代、中国は「双軌制」(計画経済と商品経済の二本立て)を採用した。あまり前例のないやり方だ。強いて探すと、ロシア革命直後のNEP(新経済政策)がある。経済がうまくいかないので、一部に市場の要素を取り入れたのです。ソ連共産党が、計画経済をごり押しするのをやめ、手綱をゆるめたということです。中国の改革開放では、この政策を「NEPの現代版」だと説明しました。
以上まとめると、「経済特区」「家族請負制」「商品経済」の3つが、改革開放を引っ張っていた。
改革開放の結果、農民が都市部で野菜を売ることができるようになった。そのおかげで収入が増え、「万元戸」(農村のニューリッチ)が続出した。豊かになった農村では運送業や縫製業などの製造業を手がける「郷鎮企業」が急成長を遂げた。経済特区も、外国からの資本を呼び込んでうまくいき、深センなど沿海部で経済ブームが起こりました。
峯村:そのころの中国の熱気は凄まじかったようですね。
橋爪:私が初めて中国を訪れたのは1988年の夏。改革開放たけなわの、ちょうどいいタイミングだったと思います。
短期の語学留学で、上海郊外のホテルに1か月滞在しましたが、ホテルの前のクリーク(小運河)には小舟が停まっていました。近郊の農民が出稼ぎで寝泊まりしているんです。自炊して、木っ端を集めて売ったり、半端仕事で日銭を稼ぐ。道端にはスイカが山積みで、安くておいしいと市民は喜んでいました。昔は配給で、量が少なくてまずかった。それが産地直送になった。商品経済は歓迎されていたんです。
その後、北京ではマクドナルドにも行きました。当時はまだ珍しかった。値段は日本と同じで、中国にしてはめちゃめちゃに高い。そして店の前は黒山の人だかりで、道行く人びとがガラスに貼りついて、店内の様子をじいっと見ているんです。村に帰ってみやげ話にするんでしょうね。当時、缶入りコカ・コーラが1本6元。売り場のお姉さんに聞いたら月給が何十元という時代です。マクドナルドが買えるはずもない。でも街は、熱気でムンムンしていた。
当時は紙幣も、人民元と兌換券の二本立てです。兌換券は外国人専用で、友誼商店(外国人専用スーパー)などで使う。外国のコーヒーやタバコ、化粧品などを売っています。兌換券は人気があって、公定レートより高く買ってくれる「チェンジマネー」のお兄さんが街角にいて、外国人とみると声をかけてくる(違法です)。
1980~90年代にかけての中国は、これからどこへ行くのかまったく予測がつかない、熱気とエネルギーが街に渦巻いていました。経済成長率は毎年10%を超える右肩上がりで、みるみる国全体が豊かになっていく。誰もがカネ、カネと夢中になる、劇的な変化の真っ最中だった。
(シリーズ続く)
※『あぶない中国共産党』(小学館新書)より一部抜粋・再構成
【プロフィール】
橋爪大三郎(はしづめ・だいさぶろう)/1948年、神奈川県生まれ。社会学者。大学院大学至善館特命教授。著書に『おどろきの中国』(共著、講談社現代新書)、『中国VSアメリカ』(河出新書)、『中国共産党帝国とウイグル』『一神教と戦争』(ともに共著、集英社新書)、『隣りのチャイナ』(夏目書房)、『火を吹く朝鮮半島』(SB新書)など。
峯村健司(みねむら・けんじ)/1974年、長野県生まれ。ジャーナリスト。キヤノングローバル戦略研究所主任研究員。北海道大学公共政策学研究センター上席研究員。朝日新聞で北京特派員を6年間務め、「胡錦濤完全引退」をスクープ。著書に『十三億分の一の男』(小学館)、『台湾有事と日本の危機』(PHP新書)など。
橋爪大三郎氏と峯村健司氏の共著『あぶない中国共産党』