鄧小平(AFP=時事)
雨が降ると白いシャツに黒いシミがつくほどの大気汚染
峯村:さらに、環境汚染も深刻でした。
いまでもよく覚えていますが、2005年当時は、雨が降り出すとみんなが防空壕に逃げるかのように建物の中に避難していました。白いシャツなんかを着ていると、洗っても落ちないくらい、黒いシミになるからです。そうした汚れた雨が降るほど、大気汚染は深刻でした。私は当時、マンションの9階に住んでいましたが、窓から下を見ても地上が見えないくらい空気が霞んでいましたね。
なぜそうした経済発展の矛盾が放置されていたのか。その大きな理由は、鄧小平の改革開放路線が中国における「第5の近代化(現代化)」を潰してきたからだと考えています。
改革開放のアイデアやコンセプトは、元をただせば1964年に周恩来が提唱した、農業、工業、国防、科学技術の「4つの近代化」です。
具体的には、1900年代のうちに4つの分野で全面的な近代化を果たし、中国経済を世界のトップラインに立たせようとすることが目標でした。毛沢東の文化大革命によって一度潰されてしまったものの、文革が終わって鄧小平が復権し、改革開放が始まりました。その理論的な下地はすでに周恩来によってつくられていたというのが重要なポイントだと思います。
鄧小平の改革開放路線で「4つの近代化」は進展しましたが、5つ目の近代化、すなわち「政治の近代化=民主化」が完全に除外されていた。そのことが、中国に歪みが生まれた最大の原因だと思います。
1976年の第一次天安門事件、1978年からの「北京の春」と呼ばれる運動でも「第5の近代化」が求められましたが、それらをすべて潰したのが鄧小平でした。その最たる例が、みなさんもご存じの1989年に起きた第二次天安門事件です。
「第5の近代化」が実行されず、中国共産党によって政治やメディアの自由が制限されてきたことが、改革開放の矛盾を増長させたのでしょう。
(シリーズ続く)
※『あぶない中国共産党』(小学館新書)より一部抜粋・再構成
【プロフィール】
橋爪大三郎(はしづめ・だいさぶろう)/1948年、神奈川県生まれ。社会学者。大学院大学至善館特命教授。著書に『おどろきの中国』(共著、講談社現代新書)、『中国VSアメリカ』(河出新書)、『中国共産党帝国とウイグル』『一神教と戦争』(ともに共著、集英社新書)、『隣りのチャイナ』(夏目書房)、『火を吹く朝鮮半島』(SB新書)など。
峯村健司(みねむら・けんじ)/1974年、長野県生まれ。ジャーナリスト。キヤノングローバル戦略研究所主任研究員。北海道大学公共政策学研究センター上席研究員。朝日新聞で北京特派員を6年間務め、「胡錦濤完全引退」をスクープ。著書に『十三億分の一の男』(小学館)、『台湾有事と日本の危機』(PHP新書)など。
橋爪大三郎氏と峯村健司氏の共著『あぶない中国共産党』