文化大革命と天安門事件の違い
橋爪:天安門事件で弾圧された学生や知識人は社会変革の担い手で、本来、共産党の仲間のはずです。中国共産党の設立の直前、1919年の「五四運動」では、大勢の学生らが立ち上がった。日本の不当な要求に抗議の声をあげ、社会革命の出発点になったではありませんか。
毛沢東は「矛盾論」で、マルクス主義にはない「人民内部の矛盾」という概念を提出しています。共産党が革命を指導したとして、人民は一枚岩で共産党を支持するかと言えばそんなことはない。複雑な政治情勢のもと、人民のなかにも矛盾や対立が出てくる。その解決は、討論や説得でできるならいい。でも敵対的矛盾である場合もあり、その場合には階級闘争のやり方になる、というのです。
文化大革命もこの考え方だった。党の中、人民の中に、敵を見つける。自己批判を求めたり、労働改造を科したりしました。ただそれでも、いきなり銃を向けることはやっていません。
天安門事件の時には、こういう理屈が特になく、反革命の「動乱」だとされた。学生の要求と真剣に向き合って、討論をし、共産党も反省したり考え直したりして、中国が今後進むべき道を見つければよかった。その可能性を、完全に塞いでしまった。
中国共産党の性格を狭く固定してしまったのは、文革の最後に革命左派を追い出してしまったせいもあると思います。革命左派は、マルクス主義の専門家で、軍事力でなく、人民大衆の運動によって社会変革を進める、というスタイルを備えていました。革命によって政権を正当化した。
革命左派がいなくなって、共産党が単に権力をもっているだけ、の状況になった。革命をやらないのなら、中国を近代化してくれませんか。改革開放で経済が発展し、自由化が進み、海外の情報も入ってくるのに、なぜ共産党の権力だけが例外なんですか。これが学生たちの訴えていることです。
党はこれに、正面から向き合うのがよかった。でもそうする代わりに、銃を向けた。それは党が、論争をやり切る自信がなかったからだと思う。銃口を向けられたことで、中国ではこの問題を議論できなくなってしまった。これが今日まで、中国の抱える大きな難題なのだと思います。
(シリーズ続く)
※『あぶない中国共産党』(小学館新書)より一部抜粋・再構成
【プロフィール】
橋爪大三郎(はしづめ・だいさぶろう)/1948年、神奈川県生まれ。社会学者。大学院大学至善館特命教授。著書に『おどろきの中国』(共著、講談社現代新書)、『中国VSアメリカ』(河出新書)、『中国共産党帝国とウイグル』『一神教と戦争』(ともに共著、集英社新書)、『隣りのチャイナ』(夏目書房)、『火を吹く朝鮮半島』(SB新書)など。
峯村健司(みねむら・けんじ)/1974年、長野県生まれ。ジャーナリスト。キヤノングローバル戦略研究所主任研究員。北海道大学公共政策学研究センター上席研究員。朝日新聞で北京特派員を6年間務め、「胡錦濤完全引退」をスクープ。著書に『十三億分の一の男』(小学館)、『台湾有事と日本の危機』(PHP新書)など。
橋爪大三郎氏と峯村健司氏の共著『あぶない中国共産党』