制裁を打破するために中国は天皇訪中を実現させた
峯村:天安門事件後の1990年代初頭、中国共産党は当時党中央弁公庁にいた曾慶紅を筆頭にした調査チームを東欧や旧ソ連に派遣しています。「なぜ政権が崩壊したのか」について当時の指導者に話を聞いたり、市民へのアンケートを実施したりして、ソ連や東欧諸国が崩壊した過程や原因を徹底的に調査させたのです。
その結果、「軍は国軍にするのではなく、共産党がグリップしなければいけない」「共産党の指導は絶対である」「官僚の腐敗や汚職は党を滅ぼす」などの総括を調査チームは内部で示したそうです。
これらの不安要素を潰していくことにより、共産党のその後の生き残りを図ったということです。
天安門事件後、中国はアメリカと関係が悪化し、西側諸国からの経済制裁を受けました。文革以降の経済成長も止まった。そもそも改革開放により生じたインフレ、景気の悪化は事件前から深刻な問題となっていました。
中国が事件後に受けた厳しい制裁を打破するために、鄧小平がターゲットにしたのが日本です。日本の政界や財界にアプローチするかたちで、接近を図りました。
なかでも最重視したのが天皇です。1992年に天皇訪中を実現させ、日本との関係改善を進めることで、西側の制裁を緩和させる糸口としたのです。天皇訪中について、当時の中国外相だった銭其シンは回顧録で、「西側の対中制裁を打破するうえで、積極的な作用を発揮した」と政治利用の成果を指摘しています。中国側の戦術である誘いに、日本はまんまと引っかかったというわけです。
いまふり返れば、天安門事件の制裁解除は早過ぎました。オバマ政権のある高官には、「日本の制裁解除によって、中国というとんでもないゴジラをつくった」と言われましたが、苦境の中国共産党を日本が救った側面があるのは否めません。