“気分がアガるロック”の虜になった田中さんは高校卒業後、専門学校に入学してからもB’zを聴き続けた。コンパクトディスク全盛時代、あまりに酷使されたCDの表面が傷だらけになって音が出なくなり、新しく買い直したこともあったという。
「アルバムを出すたびに少しずつ曲調が変わり、それがちょうど成長する自分の気持ちに寄り添うようでした。僕は歌詞よりもサウンド派で気持ちよく聴ける歌が好きでしたが、当時のイケイケで尖っていた気分にも合っていたんでしょう。2枚目のアルバム『OFF THE LOCK』の中の『HURRY UP!』にあった歌詞の一部を真に受けて、好きな女の子にアタックして玉砕したこともあります(苦笑)」
CDやビデオを楽しむだけでなく、ライブで生のB’zを体感したいとの思いが徐々に募っていったが、ちょうどその頃にテレビで見たニュース番組が田中さんの運命を変える。
「逸見政孝さんがキャスターの『スーパータイム』(フジテレビ系)の特集だったと思うけど、生活のすべてをB’zに懸けているという熱狂的ファンの夫婦が出演して、『B’zのライブのチケットが取れない』と話していたんです。その言葉を聞いて、“ああ、まだ俺はB’zのライブに行く資格がない”と思った。自分もあの夫婦のように、生活の中でB’zにいちばんのウエイトを置いていると自負できるようになるまで、ライブに行けないと思った。若気の至りといえばそれまでだけど、B’zが本当に大切だっただけに、自分にもそれだけの覚悟がいると思い込みました」
「B’zファンを公言できなかった」時代も
ストイックな田中さんの思いをよそに、B’zは1990年代から2000年代にかけてタイアップやミリオンセラーを連発して時代の寵児となったが、実際には「敵」も多かった。「昔からB’zはアンチが多かったんですよ」と田中さんが振り返る。
「中でも辛辣だったのが、オピニオンリーダー的な音楽雑誌『ROCKIN’ON JAPAN』の関係者や愛読者で、音楽制作会社ビーイングに所属するB’zやWANDS、FIELD OF VIEWなど“ビーイング系”はとにかくダサい、カッコ悪いとけなされることもしばしば。特にB’zは『あんなのは商業ロック』『エアロスミスのパクリじゃないか』とケチョンケチョンに言われた。
僕からしたら、彼らの好きなアーティストも洋楽ロックをパクっていると思うのだけど、『いや、あれはオマージュだ』と誤魔化される。僕はただ自分が好きだからB’zを聴いているのに、アンチにディスられてネチネチ絡まれるのが、嫌で嫌で仕方ありませんでした」
そう語気を強める一方、田中さんは「確かにB’zは攻撃される要素が多かった」と認める。