「いきなり『ウルトラソウル!』と言われても普通の人は“ウルトラなソウルって何なの?”と思うだろうし、初めてオリコン1位になった『太陽のKomachi Angel』もタイトルの意味がわからないですよね。その他もろもろ、インテリ系からすればツッコミどころ満載なのだろうけど、ファンはそんなB’zの“緩さ”がたまらないんです」
B’zに熱中する一方でアンチを疎ましく思う田中さんは写真事務所のスタッフとして働き始めてからも、B’zのファンであることを人に言えなかったという。
「当時の音楽シーンは『渋谷系』の絶頂期で、オシャレな人やインテリ系はピチカート・ファイヴや小沢健二にハマり、身の回りにB’zファンを自称する人はいませんでした。みんなカラオケでは嬉しそうにB’zを歌うくせに……。しかも世間のどこにROCKIN’ON系みたいなアンチが潜んでいるかわからなくて不安になり、自分の車にオシャレな人やインテリぽい人を乗せる時はサザンオールスターズを流していました。ひとりで車を運転する時はB’zを大音量でガンガンにかけて歌いまくっていましたけどね」
当時、交際していた彼女はクラシック音楽が好きで、田中さんがB’zファンであることを伝えると「あ、そう……」と塩対応された。のちに彼女と結婚したが、家でB’zのCDを聴く時はそっとヘッドフォンを耳にあてた。
2021年、30年越しのライブ初参戦が実現
その後、写真事務所から独立してフリーランスのカメラマンになり、やがて子供が生まれると仕事と育児で手一杯となった。他のミュージシャンに浮気することもなくB’zのファンを続けていたが、かつてライブに行く条件とした“B’zがいちばん”という生活が訪れることはなかった。
大きな転機が訪れたのは2019年だった。前年の全国ツアー「B’z LIVE-GYM Pleasure 2018-HINOTORI-」を収めたDVDを自宅で鑑賞していた田中さんが、いつものように飛び跳ねて踊りながら憧れの2人を見つめていると、不意に涙がこぼれてきた。「俺は何をやっているんだろう」という気持ちが、とめどなくこみ上げてきたと振り返る。
「本当はあそこにいたいはずなのに、って思ったんです。それなのに、何でいないんだろうって。それで、“よし! B’zのライブに行こう!”と心に決めた。30年以上応援しているわけだから、あの時、テレビで見たB’zのファンの夫婦もいい加減許してくれるだろうって、勝手に思いました(笑)」
居ても立ってもいられずその年のライブに申し込むも、人気が沸騰してチケットは取れなかった。一時はダフ屋が25万円で販売していたチケットに手を出すことも考えたが、「ニセモノかもしれない」と、すんでのところで思いとどまった。